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ブログ始めました

 

 

はじめまして。

"Matsuyama" 古美術 松山です。

今月、ホームページを開設しました。

掲載する品物を少しずつ増やしながら、

また、ホームページの内容も

少しずつ充実させながら

皆さまに楽しんでいただければと考えています。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、12月に入り、

富山でも雪が降り始めています。

今日の天気は雨でした。

雨の合間にふと空を見上げると、

なんと立派な、あざやかな虹が!

さらにその外側に、もうひとつの虹が!

二重の虹「ダブルレインボー」です。

何かよいことがありそうな、

そんな期待を胸にブログを始めました。

重ねてよろしくお願いいたします。

 

2018年12月17日

白磁の皿

 

先日、仕入れのために金沢まで行ってきました。

 

市内を歩くと笑顔で旅を満喫しておられる観光客の方々と多くすれ違いました。

皆さん、とても楽しそうです。

年齢層も幅広く、思い思いの旅を楽しんでおられる様子…

長い行列を作り、何か美味しそうなものを持つ姿も見られます。

北陸新幹線が開通してから、本当に金沢は賑わっています。

 

 

 

自宅に戻り一日を振り返りながらお茶を頂くのは、楽しみの一つです。

お供は、マヌカハニーキャンディ。

お店の方によると殺菌作用の効果が高く、風邪予防に最適なのだとか。

ペースト状のものはひと手間必要ですが、キャンディなら手軽に頂けます。

非常に濃厚で、美味しいです。

 

 

ところでキャンディの皿は、瀬戸の白磁です。

戦前頃のもので、骨董とまではいきませんが、それでも年代ものです。

現代の食器とも相性が良く、重宝しています。

 

 

2018年12月19日

あけましておめでとうございます

 

謹んで新春のご祝詞を申し上げます。

皆さまにとって、明るく幸せな一年となりますように。

 



室町時代の丹波の壺の佳品を手に入れましたので、

お正月らしくにぎやかに花を活けてみました。

グリーンの自然釉が全面にかかって見どころが豊富で、

大きさといい、形といい、コンディションといい、

すべて兼ね備えた魅力的な大壺です。

それ自体が存在感のある品なのですが

花を活ければ今度は引き立て役となるのですから見事です。

 

さて、私がまだこの世界に入門する前の学生時代、

好奇心から古美術店を見学して回っていた頃のことです。

東京・日本橋のある有名な古美術店に飛び込んだ私は、

(今から思い返せばとても畏れ多いことなのですが…)

親切なお店の方に案内され、お店の奥へと通していただきました。

そして私の目の前に現れたのは、大きな丹波の壺だったのです。

後に丹波の図録を開き、それが美術館級の品であったと知ることになるのですが

若い私は大きなガラスケースの中の高級そうなその壺をただ眺めるばかりでした。

 

あのとき見せていただいた丹波の壺とは比べようもありませんが

一度は優品を扱ってみたい、そんな憧れが今の私の原動力につながっています。

今一度、初心に返って、感動と感謝の気持ちを忘れずに

前に進んでいきたいと思っています。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 お買い上げありがとうございました

 

2019年01月01日

麦わらの鉢

 

金沢で出会い、一目惚れして連れ帰ってきました。

家に戻るとさっそく桐箱を開けて、棚の上に置いて、改めて眺めてみる私…

よかった、間違いなかった!

時間がたって少し冷静さを取り戻しても、変わらず魅力的に映る品でした。

 

 

 

それにしても、「麦わら」は奥が深いです。

シンプルな形、シンプルなデザイン。そのシンプルさがキーワードなのですが

同じ時代の瀬戸の麦わらでも、線の太さや勢い、バランス…

ひとつひとつ表情があって、面白いです。

この品は、これまで好きで扱ってきた麦わらの中でもトップクラス。

描線は力強く緊張感があり、心地よいリズム感があり、

それでいてやさしさと温かさを兼ね備えています。

 

数年前のこと、

富山出身の映画監督、本木克英さんにお話をうかがったことがあります。

早稲田大学を経て松竹に入社、その下積み時代に

勅使河原宏監督から指導を受けられたそうです。

映画監督にも黒澤明監督を筆頭に

古美術に造形が深い方々がいらっしゃいますが

勅使河原監督もその一人でした。

李朝の白磁の壺を出してこられて

「この白がわかるか!」「この白が出せるか!」

叱咤の繰り返しだったのだとか。

勅使河原監督は繊細な感覚を持ち合わせていらっしゃったのでしょうね。

 

骨董にはたしかに知識も必要です。

しかしながら、繊細な感覚や素直な目を大切に、

できればいつも持ち合わせていたいものです。

 お買い上げありがとうございました

 

2019年01月04日

美術館詣で

 

石川県立美術館に行ってきました。

この美術館のある「本多の森」は、兼六園のほど近く。

加賀藩の筆頭家老であった本多家の武家屋敷が軒を連ねていました。

一帯には、数々の美術館や文化施設が点在しています。

もうすぐこの地に東京国立近代美術館工芸館が移転のため、やってきます。

レトロでモダンな2つの建築物が移築され、さらには完全復元されるのだとか。

その建築を見るのも、今から心待ちにしています。

 

 

行けば必ず立ち寄るのが第1展示室。

この等身大の陶製の雉は、江戸時代の名工、野々村仁清の代表作。国宝です。

(※館内で唯一、この展示室内は写真撮影OKなのです!)

加賀藩三代藩主、前田利常の頃に前田家にもたらされたとのことですが

なるほど、仁清の活躍した時期と利常の時代とがちょうど重なりますから信憑性があります。

 

加賀百万石の城下町であった金沢は、今日でも日本有数の文化都市です。

そしてこの金沢を象徴するのがこの作品だと言っても、過言ではないと思います。

 

 

同じガラスケースの中に、もう1羽の雉がいます。雌雄一対となっています。

前田家に伝わった雄雉も寄贈された品物なのですが

この雌雉もご厚志ある方からの寄贈品とのことです。

 

 

ところで、廣田不孤斎という方をご存知でしょうか。

私達からすれば神様のような、伝説の古美術商です。

その蒐集品は、東京国立博物館に寄贈されたのですが、

質、量ともに超一級のコレクションです。

一時、そのコレクションを郷里の富山に寄贈するという話が出ていた

という話を耳にしたことがあります。

もし富山に寄贈されていればなあ…とつくづく思うのです。

世界中から、そのコレクションを見に、人が集まってくる光景が想像されます。

 

2019年01月06日

「天正八」銘の花生

 

 

その姿からまず連想されるのは、砧青磁の算木の花生。

中国・南宋時代に龍泉窯で焼かれ、日本にももたらされました。

日本陶磁でも、算木花生といえば、桃山時代の茶陶で志野織部や備前(伊部)の作品が知られており、

いずれも、唐物(中国製)の影響を強く受けていると認識されているのです。

さて、この花生は陶製ではなく、鉄でできています。

4つある面のうち、2面に算木文様。 

そして1つの面には、興味深いことに「天正八●」の文字があります。

 

 

 

天正8年は、1580年。天正3年に長篠の戦い、天正10年に本能寺の変がありましたから

織田信長や羽柴秀吉が活躍した時代の真っ只中といえます。

信長や秀吉によって、茶の湯が政治に結び付けられるのですが、その中で唐物が大いに珍重されました。

志野織部や備前の算木花生もそうした背景の中で生まれてきたものでしょう。

素材こそ違えど、鉄でできたこの花生からも唐物へのあこがれが伺い知れるのです。

もっとも、銘があるからといってこの品が実際に天正8年に作られたものだとは限りません。

しかしながら、中世の香りを残す品物であることには間違いないでしょう。

 お買い上げありがとうございました

2019年01月12日

掌におさまる宇宙

 

 

真ん中のうずのような文様に心惹かれて手に取りました。

調べてみると、太陽の文様なのだそうです。なるほど、たしかに。

月をモチーフにした武蔵野の小皿は古九谷(吸坂)にあるけれど

太陽そのものを主題とした作品は日本にあったかな・・・と思い返します。

そういえば中国や朝鮮ではどうだったかな・・・

もしかしたら、南国タイの人々ならではの発想かもしれません。

 

手のひらにおさまるサイズの器に、いい具合に太陽があります。

なんだか不思議な気分です。

ひょっとして、太陽のまわりに見える何重もの円は、太陽系の惑星の軌道では?

人々の宇宙観があらわされているのでは?

などど想像がふくらみます・・・

 

 

2019年01月16日

ありがたいお言葉

 

今月から再スタートさせていただきましたヤフーオークション。

沢山の方にご参加いただきましたこと、恐縮至極にございます。

また、

「大変良いものを譲っていただき、ありがとうございます。」

といったお声もいただき、大変うれしく思い、励みとなりました。

本当に有難いお言葉です。

この場をお借りして、御礼申し上げます。

ありがとうございました。

皆さまに楽しんでいただけるように努めて参ります。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

2019年01月29日

切手とポストカード

ひと昔前の記念切手には、古美術にも関係のある素敵な図柄のものも多いような気がします。

国宝や文化財、著名な芸術家たちの作品を身近に感じてほしいという意図だと思います。

それにしても、オリジナルの作品の一部を切り取って

切手という画面に収めただけにもかかわらず、これだけの存在感。

惹き付ける魅力は何でしょう。

もちろん構図やデザインの妙もあると思います。

オリジナル作品の実物を目にすれば、その迫力に圧倒されるわけですが

小さな限られた空間に閉じ込められた作品の一部からでさえ伝わってくるのは

作品そのものが圧倒的なエネルギーを秘めており、

精神性や哲学といったものがあふれ出ているということなのでしょう。

きっとそれが本物の証なのだと思います。

 

ポストカードにも惹かれるものがあって、美術館に行くと、

その日いちばん印象的だった作品のポストカードを求めるようにしています。

それらのポストカードは、大切な方にお便りしたり

自分用に額装して飾って楽しむこともあります。

機会があれば大切な方にプレゼントすることもあります。

 

 

石川県立美術館に展示されている、古九谷の鳳凰の平鉢。

修行中から本で見てすごい品物があるものだと思っていましたが

修行が明け富山に戻ってから、実際にガラス越しに対峙したときは本当に感慨無量でした。

(今でも館に行けば手に入るのですが)10数年来手元にあったこのカードを

最近、ある方の古希のお祝いに(手書きの文章を添えて)差し上げる機会がありました。

品物の「力」を(頭でなく)肌で感じろ、古美術品は心の糧である、

と私に教えてくださった方です。

私にとっては、「初心忘るべからず」のポストカードです。

2019年02月07日

桃の節句

 

 

ふと気付けば今日で2月も終わりです。

我が家では毎年恒例になっている雛人形の飾りつけもなおざりで

せめてもと思い、内裏雛の双幅を掛けました。

これで今年も娘たちのために飾ることができたと安堵しました。

 

息子が学校から帰宅。

入ってくるなり「わーい!」と歓声を上げました。

よかった!こちら(親)が「わーい!」と言いたいくらいです。

娘たちの反応も楽しみです。帰宅を待ちます。

・・・あれ?

期待とは裏腹に、娘たちは素通り。

 

 

筆者の狩野探原は、江戸時代後期の絵師で、

狩野探幽(永徳の孫)の流れを組む鍜治橋狩野家の9世。

幕府の御用絵師(奥絵師)として、

江戸城の障壁画制作などに参加して活躍しました。

奥絵師は、旗本と同格で、将軍へのお目見えと帯刀が許された身分です。

探原は慶応2(1866)年に38才の若さでこの世を去りますので、

この内裏雛の図も若い頃の作品といえるでしょう。

そもそも残された作品数自体もそれほど多くないのかもしれません。

 

 

それにしても、およそ150年の時を経た今でも、

こんなに色鮮やかに残っているとは驚くべきことですね。

作品のことや筆者のこと、時代背景など、エピソードを交えながら話せば

これまで何気なく見ていたものにもっと興味をもってくれるかも、と期待は募ります。

 

まずは、今年も家族そろって桃の節句をお祝いできることに感謝したいと思います。

 

2019年02月28日

片身替りの蓋物

片身替りといえば、白洲正子さんが所蔵した片身替りの盆が思い浮かびます。

このモダンな赤と黒の片身替りのデザインの漆器は、いつ頃から現れたものなのでしょう、

ただ盆をはじめ、お椀や木皿とさまざまな器種にこのデザインが取り入れられており

骨董の世界に身をおいていると、ときどき見かけることがあります。

私もこのシンプルで斬新なデザインが好きで、機会があれば入手するようにしています。

こちらは、先日、富山県内で手に入れた品です。

赤と黒の片身替りの漆器なのですが、こんなに大型のタイプは見たことがないような気がします。

存在感のある蓋付きの鉢です。喰籠(食籠とも。じきろう)と呼ばれる菓子器と思われます。

箱も失われており製作年代を特定することは難しいのですが

おそらくは明治から大正にかけての品物ではないかと推測しています。

年月を経て漆も落ち着いた風合いとなっており、その質感は骨董ならではのものでしょう。

新品の艶やかさこそ失われているものの、時を経てもなお魅力を放っています。

状態は、傷みが生じ、必ずしも良好とはいえないのですが、使用に支障をきたすほどではありません。

古いものです。多少の汚れや傷みはつきものだと受け入れて

おおらかな気持ちで楽しむのが骨董とのつき合い方かなと思っています。

次に大切にして下さる方への橋渡しができれば、なおありがたいことです。

2019年03月09日

水仙と桜

 

先日、庭にあざやかな黄色い水仙が咲きました。

毎年、水仙が庭で花開かせるのを見て春の訪れを実感しています。

東京で桜が開花した様子がニュースで流れていましたが

富山ではまだ肌寒い日があり、桜はもう少し先だろうと思っていた矢先のことでした。

近所でほころぶ桜の花を見かけ、少し譲っていただくことができたのです。

今日はちょうど遠方から来客があり、少し春らしくお迎えできることを嬉しく思いました。

 

 

昨年12月にこのホームページをスタートさせましたが

ちょうど同時期にインスタグラムも始めました。

最近はほぼ毎日何か1点ご紹介しようと投稿を続けています。

(その一方でホームページの更新が滞り気味になってしまいましたが・・・)

少しずつフォローして下さる方たちの数も増えて、その反響の大きさを日々実感しています。

今日のお客様もインスタグラムを通じてつながることのできた方で、

そのご縁に感謝しているところです。

日々の少しづつの積み重ねがこうして実を結び、花を咲かせようとしています。

今日のご縁を励みに、また明日からがんばりたいと思います。

 

2019年03月24日

時のかけら

 

古美術の修行中、主人から常々言われていたのは、

「力を感じる」ことでした。

ただ、その方法を具体的に教わるわけではありません。

日々さまざまな品物と接する中で、自分なりにその感覚を

培っていくしかありませんでした。

 

ある日、兄弟子と私は主人に呼ばれました。

何か大きな失態でもあったかな、と飛んで主人のもとへ駆けつけると、

仏像の天衣の残欠が10ばかり並んでいました。

「この中から力のあるものを選べ」

突然そう聞かれ、兄弟子も私も、頭の中はフリーズです。

残欠を手に取ってみても、どれが正解なのか、全く見当もつきません。

首をかしげながら、それぞれ考えながら(半ば当てずっぽうで)一つずつ選びます。

・・・そして主人は一つの残欠を手に取って、私たちの目の前に黙って差し出しました。

「そもそも考えているようではあかん」

・・・

どんなことがあっても眠れるのが自慢であった私も、

その日のその出来事を思い返すと、なかなか寝付けませんでした。

 

「力を感じる」とは、どういうことか?

今でも私にとってのテーマであり、意識しながら品物と向き合うようにしています。

 

 

 

最近手に入れた、縄文土器のかけらです。

紅いベンガラが残り、数千年前の人々の色彩感覚がうかがえるようです。

透かしのある、みずみずしい曲線。

もとはどんな姿だったのだろうと想像をふくらませます。

手のひらにおさまるほどの断片ですが、大きなエネルギーを秘めているのを感じます。

 

 

 

こうした時のかけらを拾い集めて、皆様にご紹介しながら

自分自身も品物からのエネルギーを感じて、心の糧にできればと思っています。

 

 お買い上げありがとうございました。

 

2019年04月07日

江戸のキュビズム

 

 

 古い木箱の中に染付の渦模様が見えて、「あれ?」 

 ぐるぐる目が回りそうな渦の文様は、けっこう好きなものです。

 外側はどんな柄かな・・・(洒落た柄だといいな・・・)と思いながらひとつ手に取ってみると・・・⁉

 

 

 江戸後期の伊万里であることは間違いないのですが、なんとも斬新なデザイン。

 器面の分割の仕方もあまり見かけたことのない、前衛的な構図です。

 これは渦で・・・これは青海波で・・・

 描かれた文様をひとつひとつ読み解いていきます。どうやら海とか波に関係しているようです。

 じゃあ、これは何だろう?濃く塗りつぶされた枝のようなものが、どうも見当がつきません。

 縦に見たり。横に見たり。何度もひっくり返してみますが、謎は解けません。

 いったん考えるのをあきらめ、頭を冷やすことにしました。

 

 そして数時間後。

 

 

 

 !!!謎は、意外とあっさり解けました。答えは「波」でした。

 伊万里のうつわによく登場する波の文様を、上下に向かい合わせて並べていただけのことでした。

 濃いダミの部分は、その波同士の合い間を塗りつぶしただけにすぎません。

 

 1つのうつわをまるごと使って、波(海)を立体的に表現しているんですね。

 口縁内側も渦模様が描かれていますし、口縁自体が波打った形状をしています。

 器面内側の白磁の部分に飛び散る呉須も、波しぶきに見立てて意図的に散らされたとさえ思うほどです。

 その発想力には感服するばかりです。

 まるでキュビズム。ピカソやブラックによって20世紀初頭に創始されたことになっていますが

 日本でも、その一世紀も前にこんな発想を抱いた人がいるのだと知り、不思議な感動を覚えました。

 

 

 約20年前、私の修行が2年目に入った4月のちょうど今頃、

 仕入れのため、主人と兄弟子とで四国に車で行った時のことです。

 初めての淡路島。初めての四国。車窓からの景色は、私にとってまるで外国(南国)に来たかのようでした。

 圧巻は、鳴門の渦潮。大興奮したのを今でも覚えています。

 

 !!!このうつわ、鳴門の渦潮かもしれないですね!

   

2019年04月18日

紅のカーテン

 

庭のベニバナトキワマンサクが満開です。

毎年この時期になると、ピンクの花がひとつ、またひとつと増え

今年も今、ちょうどピークを迎えています。

枝いっぱいに鮮やかなピンクの小さな花が開き、小さな葉も赤紫色になります。

 

 

庭に植えたのは5年ほど前のことだったでしょうか。

背丈も大きくなり、細かった幹もずいぶんしっかりしてきました。

枝も伸びて花や葉の数も数えきれないくらいに。

紅のカーテンは年々、密になってきています。

2019年04月30日

『工藝』展、スタートしました

 

 古美術松山では、ヤフオク!にて、小さな企画展を開催しています。

 先日、『工藝』展が始まりました。

 どんな工芸品が並ぶの?とお思いになる方もいらっしゃるかもしれません。

 工藝といっても、雑誌の『工藝』で、柳宗悦らが中心となった民藝運動の機関誌となったものです。

 月刊で、昭和6年の創刊以来、(戦時を経て)昭和23年まで120冊が発行されました。

 今回の企画展では、そのおよそ一割にあたる13冊を紹介させていただいております。

 

 

 もう何年も前のことです。

 東京で、民藝関係の方から、これらの冊子をお譲りいただきました。

 民藝についてもっと知りたいと思ったのと、珍しい品々の写真が入っていたからです。

 もっとたくさんあったように思いますが、ぱらぱらと本をめくり、

 自分の関心のあるテーマを扱った号を選ばせていただきました。  

 装幀は毎号異なり、手織りの布や和紙、型紙染や漆絵など。

 また棟方志功や芹澤銈介というスーパースターたちが手掛ける小間絵。

 手仕事が感じられる魅力的な一冊一冊です。

 文章はやや難しく感じるものもありますが、

 写真や小間絵を見ているだけでも、民藝の世界に引き込まれていきます。

 調べてあとでわかったことですが、

 この『工藝』は、本そのものが工芸品と称されているのだそうです。

 

 ときどき書棚から出して眺めては楽しんできましたが

 良いものをもっと他の方にも触れていただき、その良さを感じていただきたいと思うようになり

 今回の出品に至りました。

 出品に際し、写真撮影もあって、私にとって読み返すよい機会となりました。

 改めて目を通すと、また数冊比較して読むことで新しい発見もあります。

 大切にして下さる方とのご縁があることを願っているところです。

 

2019年06月12日

収穫

 

梅雨空の合い間に、ブルーベリーの収穫です。

今年は豊作。

色といい、大きさといい、美味しそうな実がたくさん実っています。

大ぶりの山茶碗を手に、ひとつ、またひとつと摘んでいきましたが

あっという間に山盛りになりました。

うっすらグリーンの灰釉がかかった山茶碗に映えるブルーベリーのみずみずしい青藍色。

思った以上に相性がよいものでした。

 

 

収穫したブルーベリーを使って、自家製のジャムを作りました。

 

 

2019年06月14日

蒐集に就て

 

「時として蒐集家は、商人の推薦するものを賴つて蒐めることがある。

だがそれをやつてゐる間はろくな蒐集は出來ないと云ふことを明確に知つておく必要がある。

中で本屋等は比較的よい方である。

それは本を集める程の人は相當學問があつて商人より詳しく知つてゐる場合が多いのと、

書物には贋物が少ないからである。

だが同じ商人でも骨董屋になると信用の出來るのは寥々たるものである。

知らない人の前には學校の先生以上に講釋をまくし立て、功德を説くのを通則とする。

それが有力な商法だからである。

云ふことまんざら嘘ばかりではないが、賴りにならないこと夥しい。

買はせる爲には惡いものでも雄辯に讃美する。

骨董商は屢々不當な儲けをしておかないと商賣が成り立つてゆかない。

それでその忠言には不純な動機が大いに多い。

それより講釋される方が惡いのだと云つてもいゝ。

蒐集家は骨董商の言葉を賴る様な不見識ではいけない、眼がきく骨董商は一割もないものである。

眼がきけば商賣がしにくいかも知れぬ。

まして人格のある商人は一分あるかなしかである。

人格なんかよくては商賣にならぬかも知れぬ。

品物は當然蒐集家の方で指導していゝのである。

いゝ蒐集家は骨董商を引きずつてゆくだらう。

商人はそれが賣れさへすれば、一生懸命にあとからつきまとつてくるものである。

それが反對に商人に引きづられる様ではろくな蒐集は出來ない。

商人の忠言は忠言である場合が極めて少ないからである。

ものは商人に集めさせればそれでよいので、商人に自分が集めさゝれては駄目である。

いゝ蒐集はいつも骨董商の眼先より一時期先である。

自分の蒐集でなく商人の蒐集となる様な惨な結果に陥らない様に私は切に勸める」

 

 

『工藝』第25号で柳宗悦が蒐集について綴ったものです。

耳の痛い言葉ではありますが、戒めの言葉として言葉に刻みます。

早ければ明日、手元を離れてしまう『工藝』を、もう一度読み返しているところです。

 

 

 

2019年06月16日

造形と文様 縄文土器

小さな企画展【造形と文様 縄文土器】をヤフオク!にて開催中です。

ある個人の蒐集家が長い年月をかけてお蒐めになった縄文土器を

ご縁あって、お譲りいただくことができました。

日々の暮らしの中で道具として作られた縄文土器には、縄文人の美意識が宿っています。

土器の造形や文様、色彩から、その気配を感じていただく機会になれば幸いです。

 

 【造形と文様 縄文土器】はこちらからどうぞ。

 

以下、出品中の5点を簡単にご紹介させていただきます。

 

 

縄文中期の深鉢の残欠。

表面に塗られた丹(に)があざやかに残り、およそ5000年前の人々の色彩感覚が窺えます。

縄目の文様や刻まれた線の文様。立体のキャンパスに描かれた抽象絵画のようです。

 

 

手のひらにのる愛らしいサイズの小壺。

縄文晩期に東北地方で展開したもので、岩手県の貝塚の名前をとって大洞(おおぼら)式と呼ばれます。

私が学生の頃は亀ヶ岡式と習った記憶があります。

 

 

こちらも縄文晩期の大洞式ですが、高さが30cmを越える、大きめの壺になります。

表面全体に縄目文をほどこし、頸部は研磨され光沢を帯びています。

 

 

こちらも縄文晩期の大洞式。手のひらにのるサイズの小皿で、上の画像はその底面になります。

擦消(すりけし)と呼ばれる技法で文様をあらわし、縄目をつけています。

口縁には、突起状の装飾が連続してほどこされています。

うっすらですが朱彩が残り、ほんのり赤みを帯びています。

 

 

把手がある小壺。目のような穴が穿たれ、やや動きのある、生命を感じさせる造形です。

頸部には縄目文様がほどこされています。

胴のワンポイント、線刻の渦文も楽しいものです。

 

2019年06月27日

チャイコフスキー国際コンクール

ちょうど1か月前の6月8日、藤田真央さんのピアノリサイタルへ。

透明感のある美しい音色がとても印象的でした。

 

 

藤田さんはその後10日もしないうちに、

第16回チャイコフスキー国際コンクールに出場のため、ロシアへ。

日本からの出場者ということもありましたが、

ついこの前演奏を聴いた方ということもあって、応援にもつい熱が入ってしまいました。

約6時間時差のあるモスクワ時間に合わせて夜中起きているのはなかなか大変でしたが

インターネットでライブ配信されており、パソコンで見ることができたのは幸運でした。

リプレイでも演奏はほぼ全て見られるのですが演奏の前後の場面は編集でカットされ、

直前の表情や、直後の観客の反応などはリプレイではわからないのです。

 

藤田さんのファーストラウンド。

演奏が始まって間もなく、会場の空気感が変わったのがモニター越しにもわかりました。

藤田さんの演奏が、モスクワの聴衆を虜にした瞬間でした。

開会後初めてのスタンディングオベーションだったそうです。

音楽が国境を越えて人々を魅了する様子が窺えて、すばらしいと思いました。

 

藤田真央さん、堂々のピアノ部門2位。おめでとうございました!

 

(江戸時代の古伊万里の皿に描かれたピアノの図⁉)

 

 

ところで、バスケットボールの八村塁選手が華々しいデビュー戦を飾りました。

(馬場雄大選手とともに、私の母校の後輩にあたるのだそうです!)

若い方たちがどんどん世界へ飛び出し、大きな舞台で活躍するのは喜ばしいことですね。

今後のめざましい活躍を期待しましょう。

2019年07月08日

紫陽花

めずらしい紫陽花の花をいただきました。

 

見たことのない紫陽花です。本当にいろいろなものがあるのですね。

お話では、このような珍しい花ばかり、お好きで育てていた方がいらっしゃったそうです。

その方が亡くなって、遺志を継ぎ、花々を株ごと譲り受けて育てていらっしゃるのだとか。

 

伺ったお話を思い返していると、自分の仕事とも重なることに気が付きました。

大切にされてきた品物を、次の方へと引き継がせていただく橋渡しの役目。

出会いや喜び、感動を人から人へ。

 

自分にとっても心の励みとなるような、紫陽花との出会いでした。

 

2019年07月14日

掌上の古陶

 

たなごころ(掌)とは、手のひらのこと。

そのなんともよい響きは深く優しく、好きなことばのひとつで、

もう20年ほど前のことでしょうか、一冊の本『掌の美』(新潮社)に出会って以来、

自分でもしばしば用いるようになりました。

日本を代表する美術商・瀬津雅陶堂の当主、瀬津巌さんのとっておきのエピソード83話。

美しい写真とともに紹介される品々は、ただただ憧れるばかりです。

ぜひお薦めの一冊です。

 

 

 

さて、今週からヤフオクにて『掌上の古陶』を開催中しています。

その名の通り、手のひらにものるほどの愛らしい小さなサイズの古陶磁を集めました。

小品といえど時代の香りを今に伝える愛すべき品々です。

大切にしていただける方たちとのご縁を願っています。

 

 

 

2019年09月11日

仏手と古陶

 

仏教美術のものを蒐めている、という方のところに伺ってきました。

棚には愛らしい仏像や仏教工芸の小品が並び、その方の愛着ぶりがうかがわれる素敵なコレクションです。

日本のもの、特に室町時代以降のものが中心のように思われました。

その中に一点、異色を放つ存在に目が留まりました。

 

 

 

仏像の右手の残欠。やわらかな線につつまれたシルエットがなんとも優雅です。

細長い指や手の形は東南アジアの仏像のように感じました。

おだやかに前方へと突き出された前腕(一の腕)、

もとはどんな姿だったのだろうと気になります。

出自は不明でしたが、美しく、また調べてみたいという思いもあって、

お願いして譲っていただくことにしました。

 

さて、家に戻り、資料探しです。

おそらくは、タイか、カンボジアか・・・

そして大きなヒントは、やはり突き出された一の腕でした。

 

タイの「遊行仏」(ウォーキングブッダ)にたどり着たとき、これだ!と思いました。

仏像が歩く姿を見せる遊行仏は、タイのスコータイ王朝(13~15世紀)に生まれた様式と言われています。

昨年、カンボジアのアンコール遺跡でも、石に刻まれた遊行仏が見つかったそうで

今後そのルーツも解明されていくことになるのでしょう。

 

 

ところで、現在、ヤフオクにて小さな企画展【掌上の古陶】を開催中です。

2点、「スンコロク」の名で親しまれているタイの小壺もご紹介しています。

秀吉の時代には、中国人商人の手によって日本にもたらされていたとのことです。

スワンカロークの地名から「宋胡録」と漢字があてがわれました。

 

 

これらの小壺が焼かれたのはアユタヤ王朝(14~18世紀)の時代。

前述したスコータイ王朝の後に栄えたアユタヤ王朝は、

中国とインド、ヨーロッパの中間に位置する地の利を活かし、交易によって莫大な利益を生みます。

その富を背景に、クメールや中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの影響を受けながら

独自の華やかな文化を開花させていくのです。

これらの小壺は輸出用の香辛料の容器でしょうか。

手のひらにものる小さな小さな古陶、アユタヤ王朝の栄華を支えた脇役たちです。

 

2019年09月16日

茶碗と鉢

 

ヤフオクにて小さな企画展【茶碗と鉢】を開催中です。

今回のメインはなんといっても隅田川焼の都鳥の茶碗です。

2羽のほほえましい都鳥が描かれています。

江戸の楽焼ともいえる隅田川焼は、江戸時代後期の文政年間に百花園で焼かれ始めました。

隅田川中州の土を用いたといい、都鳥に主題した数々の作品があります。

この茶碗には高台内に「百花園」と印が押され、明治期のものだと分かります。

 

今回の企画展では、抹茶碗として生まれたものの他にも、

茶碗に見立てて楽しめるうつわもご紹介しています。

 

 

中国・景徳鎮製の火入(香炉)は、清朝、18世紀から19世紀にかけての嘉慶・道光年間の作品です。

火入⁉香炉⁉と思われるかもしれませんが

日本には「見立て」の文化があり、本来の用途から転じて別の用途に用いることがしばしばあります。

その「見立て」の概念は、千利休によって生み出されたもの。

利休は、中国・明時代初期の染付の香炉を、茶碗として用いました。

雲や楼閣が描かれていたそのタイプの茶碗(香炉)は、以来「雲堂手」として評価が高まりました。

桃山時代に焼かれ始める瀬戸黒の茶碗は利休好みと言われていますが

腰の張った筒形の茶碗は志野、織部でも焼かれ、また長次郎や光悦の作品にも多く見られます。

利休は半筒形の香炉の形をヒントに新しい時代の茶碗をデザインしたのかもしれません。

 

【茶碗と鉢】は、10月7日(月)21時台の終了予定です。

ぜひご覧いただき、ご参加いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年10月05日

柿右衛門の猪口

 

 

先代がお蒐めになったという古陶磁のコレクション。

積み重なった段ボールの数は、20~30箱ほどあったでしょうか。

無造作に新聞で包まれ段ボールに入れられた古いやきものの数々。

包んだ新聞の日付を見ると、昭和10年代、戦前の新聞でした。古いコレクションです。

磁器が中心で、伊万里や九谷、富山のやきものが多かったように思います。

中には古染付など明末以降の中国のやきものもありました。

古いコレクションを拝見する場合、思いがけず珍しい品に出会うことがあり、期待するものです。

 

上の画像は、その中のひとつ、延宝期の色絵柿右衛門の猪口です。

口に比べて底が小さな朝顔形とも呼ばれる器形で、美しいシルエット。

薄づくりでシャープな造形です。

箱から出てきたときは泥まみれ、あまりに生々しいのでモノクロ画像にしました(笑)

古いものですから実際に汚れていることが多いのですが、

ほこりや汚れも骨董のうちと言いますし、新品同様にピカピカにするのはためらわれるのですが

品物の本来の輝きを取り戻すために簡単な手入れをして、ある程度のよごれを落とすことがあります。

 

濁手とも呼ばれる、柿右衛門の柔らかく温かい肌。

汚れを拭うと、美しい乳白色が現れました。

オリジナルの色絵も美しく残っています。

 

見違えるほどに変身した柿右衛門の猪口、明日のインスタグラムに投稿いたします。

どうぞお楽しみに。

 

追記:

さっそく次に大切にして下さる方が見つかりました。

ありがとうございました。

 

2019年10月10日

モースの日本陶器コレクション

エドワード・S・モースをご存知でしょうか?

大森貝塚を発見したアメリカ人の動物学者、と聞けばお分かりの方もいらっしゃると思います。

「お雇い外国人」として請われて東京大学の初代動物学教授に就任し、自然科学の研究・調査を行いました。

モースの大森貝塚の発見によって日本の考古学の礎が築かれることにもなりました。

 

学者としての顔をもつモースは、一方で日本陶器の大コレクターであったことでも知られています。

貝塚で発見された、貝が付着した縄文土器片との出会いがきっかけだったそうですが

明治初期の官僚であり古美術学者でもあった蜷川式胤(にながわのりたね)から日本陶器について学び、

そこから興味の幅をどんどん広げていきました。

日本美術に造形の深いフェノロサやビゲローとも親交がありましたし、

大隈重信は所蔵した全陶器をモースに贈ったといいます。

収集のために来日中に各地を訪れましたが、

アメリカへの帰途の途中で立ち寄った東南アジアやヨーロッパでも収集を行いました。

そのコレクションには、今日ではほとんど知られていない廃窯になったやきものも多々含まれています。

約5000点というモースコレクションはボストン美術館に譲渡され、

モース自身は1901年にボストン美術館の日本陶器類部長に就任しました。

世界屈指の所蔵品を誇るボストン美術館、その日本美術収蔵のルーツがモースコレクションでした。

 

さて、現在ヤフオクにて小さな企画展【豆皿・小皿】を開催中ですが

モースによって紹介されたやきものも含まれています。

「霞晴山」(かせいざん)と押銘のあるもので、今回の企画展では、小皿5枚を紹介させていただきました。

モースは、江戸後期・寛政年間に江戸四谷で焼かれたものとつづっています。

ただ「洛東霞晴山」と銘のある作品も存在し、今日では京焼のひとつであろうと考えられています。

江戸か京か。いずれにせよ、みやこの粋を感じさせる小品です。

お時間ありましたらご覧下さい。10/14(月)21時台に終了予定です。

 

 

2019年10月13日

城下町・富山

 

2015年8月にオープンした富山市ガラス美術館。

建築家の隈研吾さん設計の、富山市の新しいランドマークです。

以前、この場所には、モダンな外観の富山大和デパートが建っており、

富山市一円を焼き尽くした1945年8月の富山大空襲でも焼け残った建物でした。

 

ところで、先日、美術館の学芸員の先生とお話する機会があり、興味深いことを伺いました。

大和デパートが解体された後、発掘調査が行われていたのですが

柿右衛門をはじめとする江戸時代の高級食器(の陶片)が数多く出てきたそうです。

江戸時代、富山城にほど近いその周囲には、豪商と呼ばれる大きな商人たちが暮らし

「町屋敷」と呼ばれていたといいます。

一方、もう少し富山城に近い地域には武士たちが住んでいたといわれています。

近年、富山市中心部の再開発とともに発掘調査も進められているのですが

発掘によって出てきたものを比べてみると、

商人の方が、武士より裕福な生活を送っていたことが窺えるのです。

 

富山町は越中における唯一の城下町。富山城は富山藩主・前田氏の居城でした。

富山城は室町時代の天文年間に神保氏によって築城されたといわれています。

北陸と飛騨を結ぶ交通の要所で、戦国時代には上杉謙信、織田信長、武田信玄が攻防を繰り広げます。

その後、佐々成政が入城。

神保氏の時代に形成された城下町や街道が整備されていきます。

さらにその後、慶長10(1605)年に前田利長が城下町の再整備を大々的に行いました。

富山市内に残る町名からは、そこに住んだ人々の暮らしや商工業の営みが窺えるのです。

(※現在なくなってしまった町名もあります。)

越前町、鍛冶町、木町、黒木町、御坊町、米屋町、材木町、桜木町、山王町、下金屋町、船頭町、

大工町、手伝町、鉄砲町、寺町、西四十物町、旅篭町、八人町、東四十物町、袋町、風呂屋町・・・

 

 

さて、現在ヤフオク!にて企画展【加賀・越中に伝世した古伊万里】を開催しています。

富山市内の旧家に伝わった興味深い有田焼もご紹介しています。

江戸時代の華やかな町人文化を今に伝える品々を、ぜひご覧下さい。

10/26(土)夜までの開催です。[21~22時 終了予定]

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/shozan8

 

 

2019年10月25日

柳宗悦の茶

富山城を臨む富山市佐藤美術館で開催中の特別展「柳宗悦の茶 日本民藝館名品選」を見学してきました。

展示室に入って、まず目に飛び込んできたのは、朝鮮の火鉢に掛けられた大きな大きな霰釜。

江戸時代のもので、みずみずしい生命感にあふれていて感銘を受けます。

そして朝鮮半島のものを中心に茶碗が並び、個性豊かな表情を見せていました。

ポスターやリーフレットに写っている大井戸茶碗「山伏」が今回のメインなのでしょう。

さらに個性豊かな表情をもつ品々が並び、輝いていました。

茶道具に生まれたものではないけれども、茶道具に見立てられた品々を通して

柳宗悦の視点がうかがえるものでした。

 

???

あれ、展示室の奥に家具(椅子)が並んでいるではありませんか。

昭和30年代の松本のスツール。

19世紀のイギリスのラダーバック・チェアやスピンドルバック・アームチェア。

もちろん、日本民藝館に収蔵されていて然りなのですが、

茶の展覧会なのに、なぜ?

 

柳宗悦は生前に2回、茶会を催したと聞いています。

日本民藝館で茶会を催すにせよ、茶会用の設備が整っているわけではありませんから、

民藝館の所蔵品でまかなったということなのです。

なるほど、この椅子たちは、茶会で用いられたということなのですね。

後でよくよく展示室内の解説を読んでみると、本展は

第一回民藝館茶会(1955)や新撰茶器特別展(1958)等を再構成したもの、

とのことでした。

既成の茶に囚われない柳宗悦の試み。百聞は一見に如かずです。

 

大阪民藝館で2009年に「茶と美-柳宗悦・茶を想う」

日本民藝館で2014年に「茶と美 -柳宗悦の茶ー」

柳宗悦と茶をテーマに、日本民藝館の所蔵品からその足跡をたどる試みは過去にも開催されています。

もしかしたら重複する内容なのかもしれませんが

もし機会がございましたら、ぜひおすすめの展覧会です。

12/1(日)までの開催です。

 

 

2019年11月06日

新年あけましておめでとうございます

2020年、子年。

皆さまにとって、明るく幸せな一年となりますように。 

 

昨年も新しいご縁がたくさんあり、本当にありがたい一年でした。

このご縁を大切に、精進いたします。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

毎年この時期、いただいた年賀状に私からお譲りした品物が載っているのを見ることがあり、

たいへんうれしい瞬間です。

最近では通販やヤフオクでのお取引も増えましたので

お相手がまだお会いしたことのない方であることも少なくありませんが

品物をお譲りできたときのお相手の表情を思い浮かべたり。

自分が品物を入手したときのエピソードが思い出されたり。

何より、新年のご挨拶にあたって、その品物をお使いいただけるというのは

とても誇らしいことだと感じています。

私が橋渡しさせていただいた品物を、インスタグラムに投稿される方もいらっしゃいます。

これも同じくたいへんうれしい瞬間です。

皆さまに喜んでいただける品物を探し求め、お納めできること。

骨董屋冥利に尽きます。

 

骨董屋の仕事は、実は人と人とを結びつけることだと考えています。

品物との出会いの喜びや感動を、時をも越えて、人から人へ。

その橋渡し役を担うべく、今年も奔走いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

2020年01月05日

小さな企画展【17世紀の有田】開催中です

古美術松山では、昨年1月からほぼ毎週、小さな企画展を開催しています。

一昨年の2018年の冬にこのサイトを立ち上げ、インスタグラムも始めました。

日も浅いこのホームページではまだ集客力もなく、インスタグラムの宣伝も兼ねて、

集客力のあるヤフオク!の場をお借りしています。

一年間継続しましたところ、本当にたくさんの皆様にご覧いただき、またオークションにもご参加いただきました。

本当にありがとうございました。

今年も引き続き、楽しいもの、珍しいもの、興味深いもの・・・いろいろとご紹介していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

今週から2020年の第1弾【17世紀の有田】を開催しています。

出品中の中から、興味深い1点をご紹介させていただきます。

 

初期伊万里の皿です。1640年代~50年代頃のものと思われます。

見込に描かれるのは東屋や舟のある山水風景。典型的な「見やすい」初期伊万里です。

お詳しい方なら「どこが興味深いの?(普通の初期伊万里でしょ)」と思われるかもしれません。

まず1点目。

裏面、高台内の銘にご注目いただきたいのです。何やら文字が書かれています。

 

大抵の場合、「大明」と楷書体で書かれているものなのですが

同じ「大明」でも、くずした字体になっていて、珍しいものです。

その脇には「大黒●」(3文字目は解読できませんでした)とあります。

 

そして、2点目。

表面の山水図の窓絵にご注目いただきたいのです。

 

花(牡丹)でしょうか?

山水図が一般的な画風なのに対して、この花らしき文様に私は違和感を覚え、気になっていました。

 

しばらく時間をおいて何度か繰り返し見ていると・・・

あれ?

 

人の横顔に見えませんか?ほほえむ女性のようです。

花弁と人の顔を重ねて描いた、だまし絵のようにも思えます。

このようなまぎらわしい描き方、ひょっとしたら隠れキリシタンの遺物なのでは、と直感しました。

 

この皿が焼かれたのは、1640~50年代。将軍徳川家光のもと、幕府によって鎖国が完成します。

キリスト教は禁止、弾圧されました。そのような時代背景の中で生まれてきた皿です。

ほほえむ女性の横顔は、聖母マリア・・・⁉

厳しい迫害の中、身を潜めながら信仰を守り伝えた信者たちの思いが伝わってくるかのようです。

 

 

2020年01月09日

国立工芸館

今日は、金沢へ。

久しぶりに石川県立美術館に伺ったら、となりに新たな建物が現れていました。

国立工芸館。

東京国立近代美術館工芸館が金沢に移転してきました。いよいよ今夏オープンします。

日本海側初の国立美術館なのだそうです。 

 

兼六園からほど近い、かつて本多の森と呼ばれたこの一帯は、加賀藩家老・本多家の武家屋敷が軒を連ねていたところです。

美術館・博物館はじめ多くの文化施設がこのエリアに固まっており、 東京でいうと上野の森(上野公園)のようなイメージでしょうか。

私がいちばん気に入っているのは鈴木大拙館。ぜひ一度訪れてみて下さい。おすすめの空間です。

 

石川県立美術館は、その優れたコレクションもさることながら、ミュージアムカフェも素敵です。

LE MUSSE DE H(ル ミュゼ ドゥ アッシュ)は、石川県七尾市出身のパティシエ・辻口博啓さんのプロデュース。

店内でスイーツもいただけるのですが、ぜひお試しいただきたいのは、「コンセプトG」

店内奥のモダンな茶室でいただく玉露のコースは格別です。こちらもぜひ。(事前予約がおすすめです。)

 

2020年01月16日

工芸とデザインの境目

「開化堂の茶筒はありませんか?」

と県外からお客様が訪ねていらっしゃいました。いつのことだったでしょうか。

このとき、私は開化堂のことを初めて知りました。

何も知らなかった私に、その方は丁寧に教えて下さいました。

開化堂は、京都の手作り茶筒の老舗です。明治8年(1875)創業。

私たちはお客様からずいぶんたくさんのことを学ばせていただいています。

 

ところで、約3年前になりますが

2016年秋から2017年にかけて、金沢21世紀美術館で「工芸とデザインの境目」という展覧会がありました。

某所で偶然見かけたそのリーフレットに、開化堂の茶筒の写真が載っていたのです。

なんだかとても関心が沸いて、展覧会に行ってみることにしました。

 

「工芸とデザインの境目」は、プロダクトデザイナーの深澤直人さんが監修された展覧会。

工芸やデザインという語は、私たちが普段から何気なく用いているものです。

それらをさまざまな切り口から見つめることで、工芸やデザインの本質に迫ろう、という意図を感じました。

 

後日、展覧会を紹介する記事を何かで読んだのですが、印象的だったのは秋元館長の言葉でした。

「一つの例だけど、工芸の汚れは愛着。デザインは汚いと感じるとこが違いかもね。」

 

傷ついたり汚れたりすると、劣化とみなされ価値が損なわれるデザイン。その一方、工芸では「味」となります。

使用や経年による質感の変化と、使用者に深まる愛着。

時間は、デザインを工芸へと変える可能性を秘めています。

 

 

開化堂の茶筒は、まさに育てる茶筒。機能性と風合い。長くつきあえる品物です。

現在、ヤフオクにて開催中の小さな企画展【筒のかたち】にて、

数十年を経た昭和期(あるいはもっと古い?)の開化堂の銅製茶筒もご紹介しています。

よろしければぜひご覧になって下さい。

 

 

 

2020年01月31日

嫁脅し肉付きの面

時は室町時代の半ば、足利義政の治世。

応仁元年(1467)に応仁の乱が始まります。

その最中の文明3年(1471)、蓮如は越前吉崎に赴き、吉崎御坊を建立します。

荒地であった吉崎は急速に発展し、寺内町が形成されていくのでした。

その吉崎には「嫁脅し肉付きの面」という伝説が残されています。

 

「 むかしむかし蓮如さまが吉崎におられたときの話や。

十楽村に嫁の清さんと婆さんが住んでいたんやと。

清さんは三十三歳やったんや。

かわいそうにの、二人の子供が次々と病にかかって死んでしもうた。

ああ、と思っていたら、夫の与三次さんも急病にかかってなくなってしもうたんや。

 

清さんはの、世の無常をさとって吉崎御坊へ参って、蓮如さまの話をきいて信者になったのや。

それでの、昼はたんぼや畑を耕し、婆さんの機嫌をとって、夜、手がすくと一里の山道を歩いて吉崎御坊へお詣りしたんや。

ところがおもと婆さん、それが気にいらんで、家宝の鬼の面をかぶって途中の谷間でおどし、こわがらせて吉崎詣りをやめさせようとしたんや。

 

うわあーと鬼がでたじゃから、清さん、とびあがってびっくりしたやろの。

だがの、心をしずめ「食まば食べ 喰わば喰え金剛の 他力の信はよもはやむまじ」と口ずさんで、念仏申し申し吉崎へ詣ったんやそうな。

さてさて、婆さんは「うまくいったぞ」と家へ帰り、面をすみやかにとろうとしたら、とれんのや。

むりにとろうとすると、血が流れ出ていたむんや。手も足もしびれてしもうたんや。

こわいこっちゃ。ばちがあたったんやろの。

清さんはお詣りをすませ、家へ帰って「ただいま」と戸をあけて中へはいると、谷に出た鬼がいるんで二度びっくり。

「助けてくれ!清さん」といわれて、婆さんとわかって、とってあげようとするが、とれんのや。

孝行ものの清さんも困ってしもうたんや。婆さんはとってほしいが、とってもらえんので大声あげてなくんや。

 

そこでの、清さんは「蓮如さまのおおせには、いかなる者も弥陀をたのめば仏になるとおっしゃった」と、婆さんの一番きらいなお念仏をすすめたんやと。

さすがの婆さんも涙をながして話す清さんをみて、

「清さん、面をかぶっておどした私が悪かった。かんにんしての」

「いやいやお婆ちゃん、わたしにあやまらんでいいですよ。面がとれないから困るんでしょう。どうぞお念仏を・・・」

生まれてからはじめて「なむあみだぶつ、南無阿弥陀仏」と清さんのすすめでとなえたんやと。

 

あらあらふしぎやの、清さん、手でもってひくと、すっととれんや。

二人は大喜び、手に手をとりあって吉崎御坊へかけつけ、蓮如さまに事のしだいをお話しし、面をおあげしたんやと。

蓮如さまは喜ばれ、婆さんにお念仏のありがたいことをとかれたんやと。

それからは婆さんも信者になって、二人手をとりあって吉崎へ蓮如さまのお話を聞きにやってきての、仲よくくらしたんやといの。

嫁おどしの面は蓮如さまが吉崎を出られるとき、

「末代のみせしめにせよ。参詣者の方々にこの話を聞いてもらい、家中のもの仲よう念仏もろとも楽しく生きてくださるよう伝えてくれよ」

と吉崎御坊に残していかれたんやと。 」

(以上、「吉崎御坊の歴史」図書刊行会より)

 

 

ところで、「吉崎参拝記念」と掛かれた盃を見つけました。

見込に女性の顔が描かれています。

 

裏面は、緑鬼の顔。鬼面の盃です。

「鬼は外、福は内」内側がお多福になった鬼面盃は節分盃とも呼ばれます。

節分盃は江戸時代末期頃から作られ始めたと聞いています。

同じような盃で九谷銘のものをときどき見かけることがありますが、

九谷でも明治から大正にかけてさかんに作られていたといいます。

 

この盃の場合、見込に描かれた女性はお多福とも異なるように思われます。

何だろうと思い巡らせ、調べている中で、「嫁脅し肉付きの面」の伝説にたどり着きました。

おそらく、この盃は節分盃を若干アレンジして「嫁脅し肉付きの面」を表現したものではないかと思っています。

描かれた女性は嫁の「清さん」(老婆の姿ではないので「おもと婆さん」ではないでしょう)。鬼は嫁脅しの面。

吉崎限定の盃。今でいうところのご当地グッズのさきがけですね。

 

ところで、緑鬼の色にも意味があるようです。

仏教には、煩悩を表す五蓋(ごがい)という考え方があって、それぞれに色があてがわれているのです。

①赤⇒貪欲(とんよく):むさぼること

②青⇒瞋恚(しんに):怒ること

③緑⇒惛沈(こんちん)・睡眠:倦怠や眠気

④黄⇒掉挙(じょうこ)・悪行(おさ):心の浮動や後悔

⑤黒⇒疑惑:疑うこと

節分の豆まきのとき、自分の打ち勝ちたい煩悩の色の鬼に豆を投げるとよいともいわれています。

もしかしたら、あと4色、この盃の色違いのものがあったのかもしれません。

 

2020年02月14日

古伊万里に描かれた仏像

金沢で見つけた古伊万里のうつわの話です。

古い箱の中にいくつかの古い食器が混ざった中に、ふと目にとまった古伊万里の色絵の向付がありました。

八角形で、各面に何やら人物が描かれています。そして・・・

 

黄色い仏像らしき姿を発見!拝まれています。

いったいどんな由来の図なのかと興味がわき、調べてみることにしました。

手掛かりは、各面の人物図の余白に染付で書かれた漢詩らしき漢字の羅列。

ひとつの面には「李白」の文字が見えました。

さらに解読できる漢字をたよりに、検索してみると・・・

ありました、ありました。「飲中八仙歌」。盛唐の詩人で「詩聖」と讃えられた杜甫の作品です。

酒中八仙として勇名を馳せていた8人の酒豪たちを、親しみをこめてユーモラスに謳った詩。

登場人物8人の名と漢詩(漢字)を照らし合わせてみると、なんと順番通りぴったり合致しました。

 

 

①賀知章 ②汝陽王李璡 ③李適之
⑧焦遂  杜甫? ④崔宗之
⑦張旭 ⑥李白 ⑤蘇晋

 

気になる仏像のある場面は、八仙の第五、蘇晋(そしん)のエピソード。

仏教に凝った蘇晋は、刺繍された弥勒仏を拝んでいたとのこと。

この黄色い像は、弥勒仏だったんですね。

 

余談になりますが、この弥勒仏、布袋のようにも見えませんか。

布袋は晩唐に実在した僧なのですが、のちに神格化され、弥勒信仰と結びつくのです。

そのため、後世においては弥勒仏はしばしば布袋の姿で描かれるようになりました。

杜甫が生きたのは盛唐、布袋は晩唐。杜甫の時代には布袋はまだ生まれていませんでした。

このうつわに絵を描き入れた画工は、おそらく注文を受けてから絵手本をもとに絵付けを行ったはずなのですが

その絵手本が明代のものか清代のものか、弥勒仏が布袋の姿で描かれていたのでしょう。

ちなみに高台内には「大清康煕年製」銘。絵手本は康煕年間のものだったかもしれません。

康煕年間(1662~1722)はたいへん長く、日本の年号でいうと寛文から享保までとなります。

 

それにしても、仏像が登場する古伊万里があったとは、なんとも驚きでした。

 

 

 

2020年02月22日

青磁開扇香合と形物香合番付

「形物香合相撲番付表」をご存知でしょうか?

当時の相撲人気にあやかって、一覧にされた、「形物香合」と呼ばれる名物香合の格付け表です。

発行されたのは江戸時代後期の安政2年(1855)のことです。

 

 

形物香合というのは型を用いて作られた小さな蓋付の容器のことで、

動物や鳥、植物など、さまざまな意匠が取り入れられています。

その多くは中国の景徳鎮や漳州窯、あるいは東南アジアで焼かれたもので、

日本の茶人たちはその小さな蓋物を香の器に見立て、色合いや大きさ、作行のバリエーションを楽しんだのでした。

この番付表は、江戸・名古屋・京都・大阪・金沢の茶道具商と目利きたちによって作成されたと伝えられています。

唐物215種(染付85、交趾64、青磁29、祥瑞19、呉須16、宋胡録2)が東西に分けてランキングされるほか、

行事に塗物3種、頭取に和物7種、勧進元に3種(呉須台牛、紅毛2)、差添に2種(南蛮、寧波染付)と

合わせてなんと230種類の香合が登場するのです。

当時の評価や知名度を反映した名物香合の格付け一覧は、香合ブームの火付け役となり、

それ以降も今日に至るまで、香合の格付けの大きな基準となっています。

 

さて、現在ヤフオクにて開催中の小さな企画展【青磁】にて、中国・清朝の青磁の香合をご紹介しています。

 

17世紀頃のものと思われる扇面の香合で、古い木箱に、麻布に包まれて収められています。

日本で作られた箱自体も江戸時代のものでしょう。箱行きもまずまずです。

(私たち骨董商が「道具」としてものを見る時、箱もひとつの評価のポイントとなるのです。)

実は、この香合、先にご紹介した「形物香合相撲番付表」の中では「青磁 開扇香合」として紹介されているのです!

 

 

東二段目一位。前頭です。

参考資料として、昭和15年の京都美術青年会発行の『形物香合図鑑』の画像をご紹介いたします。

 

下の画像は、今回の企画展に出品中の香合です。

上の資料の画像と比べてご覧になっていただければと思います。

 

香合の画像は、ヤフオクサイトに多数掲載しております。

よろしければ、そちらもご覧いただければと思います。

 

 

2020年02月29日

満身創痍の皿

お客様のところで、長い間愛蔵され愉しまれたという品を見せていただきました。

藍九谷の市松文の長皿!

手に取って裏表ひっくり返しながら拝見させていただいていると・・・

表面に、気になる箇所を発見。さらにその周囲にうっすらとニュウ(ひび割れ)らしき線を見つけました。

ずいぶん前にあるお店で「無傷完品」として勧められ、お求めになったのだそうです。

 

傷の箇所を覆い隠すような補修がされています。共直しです。

しかし、とても生まれのよい皿なのです。そして、私の好みの皿でもありました。

私は、補修のことを説明した上で、お譲りいただけないかとお願いしてみました。

無傷無欠点の品として高額でお求めになったため、私の説明を聞いてがっかりされたに違いありません。

お客様はしばらくお考えになった末に、長いこと楽しませてもらったのだからと、手放される決断をされました。

 

さて、帰宅するとさっそく気になる共直しの正体との格闘が始まりました。

欠けや割れを補修し、さらに周囲の部分と同じ色調に色合わせして補修箇所を目立ちにくくする共直し。

しかし時間が経つにつれその表面は変色し、違和感が出てくるのです。

お客様のところで私が気付いたのも、色合わせ部分の表面変化だったのでしょう。

すでにニュウが見えていたので、割らないように注意を払いながら熱湯を注ぎました。

すると・・・

ペロンと、皮がむけるように表面を覆っていた膜がはがれてきました。

ニュウだけでなく、長皿の隅の部分が完全に割れ、継がれていたことが判明。

しかし、それで終わりではありませんでした。

なんと!皿は真っ二つに割れて、焼き継がれていました。

そして、全ての継ぎを覆うべく、表裏全面が薄い膜でコーティングされていたのです。

染付の部分はその上から藍で手描きされていたこともわかりました。

まさに、満身創痍。

傷があるのは十分承知した上でお客様からお譲りいただいたつもりでしたが・・・

 

 

 

さて、私が古美術の修行のために入った店は大所帯で、私の入店時、4人の兄弟子がいました。

師匠のことを私たちは「主人」と呼び、主人はたいへんお忙しい方なので、

日常のさまざまなことは、まず兄弟子たちから教わりました。

まず教わったのは、風呂敷の扱い方だったでしょうか。たたみ方、結び方など。

風呂敷は古美術商の必需品です。

(私もやがて弟弟子ができて指導する立場になるのですが、たしかまず風呂敷のことを説明したような記憶があります。)

 

そして入門初期に教えられたことの一つが、「傷」や「修理」(補修)の見方でした。

古美術品というのは古いものですから、劣化はつきもので、ひび欠けも少なくありません。

しかしその保存状態が商品価値を左右する大きな要素なので、古美術商としては状態を正しく見極める必要があるのです。

補修としては、陶磁器だと金直しや銀直し、漆直しは色や質感も明確に異なるので一目瞭然なのですが

厄介なのは「共直し」でした。

共直しを恐れ、疑心暗鬼になるばかりでは佳品を逃すこともあります。

失敗も多々ありました。

京都で初期伊万里の玉壺春の徳利の共直しに気付かずに仕入れ、痛い思いをしたときのことは、今でもよく覚えています。

 

 

満身創痍の長皿。製作期は約1650~1670年代、江戸時代前期の寛文年間の前後と思われます。

約350~400年前のブルーはそのまま鮮明に輝いています。

見事な縦横比。口縁の低い立ち上がり。その造形も洗練されています。

いちばんの見どころは細かな市松(石畳)文。

しかも、全面ではなく、片身替り(それも無文!)としているところが心にくいものです。

寛永文化の粋がちりばめられた佳品で、その状態を差し引いたとしても十分見ごたえがあります。

 

こちらは、ヤフオクにて開催中の小さな企画展【市松とストライプ】にてご紹介しております。

(3/9(月)21~22時終了予定)

画像は、部分拡大図を含め72枚を掲載していますので、詳細はそちらご覧いただければと思います。

私の入手価格にかかわらず売り切りますので、よろしければどうぞご参加下さい。

引き続き大切にして下さる方とのご縁があればと願っています。

 

 

2020年03月06日

残り香

せめて人ごみをさけてならばと、早朝の散歩へ。

空には青空が広がり、小鳥たちがさえずる、さわやかな朝です。

近所の小学校には見頃をやや過ぎた桜の木々の姿が。

帰り道に遊歩道に落ちた桜花を拾って自宅に持ち帰り、残り香を楽しむことにしました。

 

今週、富山市内でもそれぞれの学校で例年よりも規模を縮小しながらも入学式が行われました。

自分も学生時代、毎年4月に新しい学年に上がるたびに、気が引き締まり、心地よい緊張感を感じていたのを覚えています。

 

 

 

ところで、職業柄、お客様がどのような品物を手にお取りになるのだろうと気にしていると

次第に、はじめてのお客様でも、お話を伺わなくてもどんな品がお好みなのか、分かってきました。

また、その方がどれくらい経験をお持ちなのかもある程度分かります。

 

さて、私が30代の頃ですが、ある大きな催事に出展したときに、こんなことがありました。

リーズナブルな価格設定とラインアップの幅広さもあって、

ありがたいことに毎回ご好評をいただき、楽しみに駆けつけて下さる方たちで賑わっていました。

ある初めての若い男性のお客様がいらっしゃったのですが、それがどう見ても骨董初心者の方だったのです。

何を手に取ってよいのかさえ分からないご様子でしばらく店内をぐるぐるとご覧になった後、

おもむろに「これ下さい!」と。

売る側としては、お買い上げいただくのはむしろありがたいことなのですが

大丈夫かなと心配になる瞬間もときどきあるのです。

そこでお尋ねしてみると、こんな返事が返ってきました。

「実は僕は品物のことは全く分からないんです。

でも、このお店のお客さんたち、皆さんの目が輝いているじゃないですか。

だから、僕も安心して何か買ってみたいと思いました。」

 

思わずハッとさせられた瞬間でした。

そんな風に意識したことは正直ありませんでしたが、ただお客様に喜んでいただきたい一心でやってきたのは事実です。

とても嬉しく励みになったありがたい言葉でした。

今でもときどき思い出しては自らを奮い立たせています。

 

2020年04月11日

what you see is what you look at

大学時代に、翻訳を少しかじりました。

翻訳の講義を担当されていたのは、日本の同時通訳界の草分けとも言われるI先生。

サッチャー首相、マハティール首相、ガンディー首相、クリントン大統領をはじめ、要人の通訳を務められた方です。

逐次通訳と同時通訳は同じ通訳とはいえ別物であるということ、

また翻訳と通訳とは全く異なるものだということも常々おっしゃっていました。

通訳や翻訳の世界の話を伺えるのが楽しみで講義には欠かさず参加していました。

 

I先生から教えていただいた中でも特に印象に残っている言葉が

"What you see is what you look at."

です。「見る」という意味の英語"see"と"look"のニュアンスの違いを明確に表されたもので

人は見ようと思うものが見えてくる、とでもいいましょうか。

別の言い方をすれば、人は色眼鏡を通して物事を見ている(のだから、それを絶えず意識しなさい)

という教えでした。

 

ところで、4月1日のNHK「歴史秘話ヒストリア」では、謎の天目茶碗が取り上げられていました。

第4の曜変天目の発見か⁉ということで議論が展開されていくのですが、

権威の先生方の、信念をかけて真実に迫ろうという様子がひしひしと伝わってきました。

仮説を立て、科学的な手法で立証していこうというアプローチですが

まさに "What you see is what you look at." の教訓が頭をよぎっていました。

 

途中、窯変天目のルーツを探るため、福建省の建窯の映像が流れました。

建窯は本当にスケールの大きな窯跡でした。

窯変天目は建窯で焼かれたと考えられてきたため、発掘調査もされてきたものの、陶片ひとつさえ出てきていないのです。

しかし日本には古くにもたらされた窯変天目が複数伝わり、しかも日本にしか存在しないという謎。

いずれ科学的に解明される日が来るのでしょうか、世界の学者の先生方の研究調査を待ちましょう。

 

 

上の画像は、建窯で焼かれた名高い建盞(けんさん)ではありませんが、

福建省の周辺の窯で、南宋から元にかけて焼かれたと思われる天目です。

唐時代から喫茶の風習が一般化し、宋時代にはさらに普及し、中国全土に広がったといいます。

 

2020年04月12日

竹三題

清涼感にあふれる竹林は、みずみずしい空間。

今日は、清々しい空気を届けてくれそうな、骨董のうつわ3点をご紹介したいと思います。

いずれも竹を主題としたものです。

 

まずは、古伊万里の小さな小さな染付の猪口を。

 

染付で描かれる竹(林)は、まさに清雅。

内側には呉須が飛び散り、まるで吹墨をほどこしたかのよう。

潤んだ空気感を醸し出しています。

光に照らすと透けて見えるほどの薄いつくりも、涼しげで好ましいものです。

 

 

手のひらにのる愛らしいサイズ、竹になぞらえてかぐや姫を連想しました。

「・・・三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。」

竹取物語の冒頭、竹取の翁がかぐや姫と出会う場面です。

猪口の高さは3.6cmで、三寸どころか一寸、むしろ一寸法師の背丈です。

 

次は、少し趣きの異なる色絵ののぞき猪口です。竹の節をかたどった竹節形。 

 

白い素地は鮮やかな絵付がいっそう映えるようにと、美しい乳白色をしています。

 

ところで中央の2本だけ、竹の色が異なっていることにお気付きでしょうか?

「・・・その中に、もと光る竹なむ一筋ありける。」

竹取物語の冒頭、翁が見つけた光り輝く竹。かぐや姫が登場する場面のようにも思われます。

古伊万里には、ときどき見られる「留守模様」。

主人公をあえて描かず、関連するものを表現することで主人公を暗喩するものです。

これもかぐや姫の留守模様なのかもしれませんね。

 

 

 

最後は、竹と若筍を描いた大きな平鉢です。

 

筍そのものをメインの文様として中央に描いた作品は珍しいように思います。

みずみずしい生命感にあふれた逸品です。

 

 

毎年この時期、とても美味しい、そして見事な筍料理をふるまって下さるお店があるのです。

毎年本当に楽しみにしているのですが、今年はこのコロナ禍で休業中。残念です。

代わりに、インスタグラムに投稿される数々の見事な筍を眺めて楽しませていただいているこの頃です。

 

2020年04月19日

滝と人魚

今年はGWといってもそれどころではなく、家に閉じこもりっきりの日々が続いています。

もともと旅が好きな方で、どこかに飛び出したい気分ですが・・・

ときどき美しい風景や珍しい光景を画面越しに眺めながら気を紛らわしています。

 

近年の旅で訪れた場所を思い返してみると、ふと、滝を見に行っていたことが意外と多いことに気付きました。

 

那智へは、根津美術館の国宝・那智瀧図を見て以来、一度は訪れてみたいと思っていました。

数年前についにその念願がかないました。

 

 

昨年は北海道・美瑛の白ひげの滝へ。

コバルトブルーにきらめく美瑛川に、自然岩から染み出た地下水が勢いよく流れ落ちる絶景です。

 

 

今年はちょうどこの自粛ムードが始まる直前のことでしたが、富山県小矢部市にある宮島峡を訪れました。

中世、小矢部川の支流・小撫川に沿って「宮島保」という荘園があり、渓谷をなす山間部は古くから「宮島峡」と呼ばれました。

平安時代末期、僧・俊寛が平清盛によってこの峡谷の奥地に流されたという伝説も残っています。

この宮島峡には滝が点在しているのです。

落差は小さいのですが、川幅いっぱいに流れ落ちる滝は「小ナイアガラ」「富山のナイアガラ」とも呼ばれ、

水量の多い時期には水がいっせいに流れ落ちる情景は壮観だといいます。

 

そしてなぜか・・・人魚像。

古来より龍神が棲み人々の命を守ると言い伝えられてきた霊淵、竜宮淵の岸辺には

コペンハーゲン、ランゲリーニュ海岸にあるアンデルセンの人魚姫がモデルとなったブロンズ像があるのです。

メルヘンの街を謳う小矢部市。この宮島峡にも12体のブロンズ像(ヴィーナス像)が配されています。

 

2020年05月07日

阿吽のセキレイ

セキレイ(鶺鴒)の皿がやってきました。江戸時代前期、17世紀半ばの寛文年間頃のものです。

 

 

鳥を描く作品は、江戸時代初期に焼かれた初期伊万里から見られますが、

セキレイ(と思われる小鳥)がモチーフとして数多く取り上げられるのは、この時期からです。

 

この皿で興味深い点のひとつは、巣篭りの図になっていることです。私も初めて見ました。

雌鳥でしょうか、伏せた方は正面から描かれています。ほほえましい顔をしていますね。

おそらくこの二羽はつがいで、もう一方は雄鳥でしょう。

ところで、くちばしを閉じた雌鳥に対し、雄鳥はくちばしを開いています。

お気付きでしょうか、なんと「阿吽」の一対になっているのです!

 

 

「○」と「+」を組み合わせた文様のようにも・・・(島津家の家紋⁉)

 

 

 

45°回転させると「○」と「×」の組み合わせに。

鋏(はさみ)の形にも見えなくはないですね・・・

 

 

さて、二羽のセキレイをこのように交差させて描く構図は、藍九谷でもいくつか知られているのですが、

もしかしたら同じ下絵があったものかもしれません。

17世紀後半の延宝期、元禄期になると、鍋島作品でセキレイが描かれた皿がいくつか知られています。

代表的な2点をご紹介したいと思います。(画像は、里文出版『鍋島』より)

 

 

こちらは、伊万里市蔵の「染付鶺鴒文変形皿」。延宝期のものです。

 

 

こちらは、佐賀県立九州陶磁文化館蔵の「色絵鶺鴒文皿」。元禄期のものです。

 

どちらも「阿吽」です。

また2点を比較すると二羽のセキレイの位置がほぼ同じで、足元に水草を描く点も共通しており、

同一の下図案から作られたものではないかとも考えられています。

なお、鍋島作品の意匠となる鳥は一対で描かれることが多く、おめでたい吉祥柄です。

鍋島作品にも現れる、二羽を組み合わせたパターンのセキレイ図。

藍九谷は17世紀でももう少し時代のさかのぼるものですが、それらの下図案にも関係性を感じます。

 

 

ところで、久隅守景という絵師をご存知でしょうか?

国宝「納涼図」の描き手といえば、思い出される方も少なくないことでしょう。

前田藩とも関わりの深い、江戸前期の狩野派の絵師です。

2016年には石川県立美術館で久隅守景の展覧会が開催されましたが、守景筆とされる作品が一堂に会しました。

その展覧会の目玉が「納涼図」でした。

 

さて、「久隅守景画」と墨書きされた古い木箱に古い染付の皿が5枚、10枚と収まっていることがあります。

私もこれまで何度か扱いましたが、そのほとんど全てが藍九谷、寛文期の染付です。上手の作品が多かったように思います。

実際に守景が絵付をしたかどうかは別として、その下絵に守景およびその周辺の絵師のものが用いられた可能性もあり

「久隅守景画」の墨書きも、あながちでたらめではなさそうな・・・

古九谷の産地をめぐる論争は、今日では有田説が有力となっていますが、中には雰囲気の異なるデザインの作品も存在しますし、

やはり前田家がその製作に何らかの形で関わっていたのではないかなあと思っています。

 

発掘調査とともに、狩野派とその周辺の絵画、絵手本、粉本等を重ねてを調べてみることで、

ベールに包まれた謎がひとつ、またひとつ解き明かされていくかもしれません。

 

2020年05月13日

明治16年の世界地図

今月、富山県内のある港町の旧家に伝わった『懐中節用無盡蔵』という古い冊子を手に入れました。

懐中というのは、携帯用ということでしょうか。

節用というのは、節用集のことを指しているようです。

節用集というのは、室町時代に生まれたとされる用字集や国語辞典のことです。

江戸時代を通じて広く流通しますが、時代とともに付録や内容が増加して、百科事典的なものに変わっていくものもありました。

明治16年(1883)刊のこの冊子にも、本当にさまざまな情報が掲載されており、

今日の○○手帳(茶道、歴史、・・・)のような感じでしょうか。

時間のあるときにときどき開いては、当時の情報を眺め楽しんでします。

 

『懐中節用無盡蔵』の中の一頁に「萬國全圖」として世界図が登場し、明治初期の人々の世界観がうかがい知ることができます。

 

このような東西の両半球を描く世界図は、日本には18世紀の半ば以降に、オランダ経由で伝わったと言われ、

主に蘭学者たちによって日本語版が描かれたようです。

本初子午線は、0度の経線。180度経線とともに形成する大円によって、東半球と西半球とに分けられます。

この図では、イギリスのグリニッジ天文台を基準としたグリニッジ子午線が本初子午線になっているように見えます。

なお、明治5年(1871)に海軍省ではグリニッジ子午線を本初子午線として採用しました。

 

ところで、地図に出てくる地名や海の名など、当時の呼び名が現在と異なっているものもあり、面白いものです。

太平洋(たいへいよう)が「大平洋」「大平海」と表されています。オーストラリアは「オースタリヤ」。

その他に登場しているのは、日本、マンシウ、シベリヤ、アフカニスタン、ウラル山、アラビヤ、フランス、イギリス、

エチプト、サハラ、マタカスカル、喜望峰、クリインランド、合衆国、メキシコ、アンテス山、ブラシリ、チリ―、サンドウイチ。

亜細亜洲(アジヤシウ)、欧羅巴、亜非利加洲、北亜米利加、南亜米利加、ヲセニヤ洲、北極、南極。

大洋の名としては、印度洋、大西洋、大平洋(大平海)。南極のまわりは氷洋・南氷洋となっています。

 

『懐中節用無盡蔵』の中で、この萬國全圖のあとには、世界の国名が続いています。

亜細亜洲(アジア)、阿非利加洲(アフリカ)、欧羅巴洲(ヨーロッパ)、北亜米利加洲(北米)、南亜米利加洲(南米)、大洋洲(オセアニア?)

の地域に分けられ、70~80の名称(国名)が並んでいます。

こちらも興味深いので、またの機会にご紹介したいと思います。

 

2020年05月19日

漢字の国名

茶道具や古美術に関わっていると、ときどき出てくるのが「和蘭(阿蘭陀)」「呂宋」といった漢字表記された地名。

江戸時代にはずいぶんと外国の地名・国名に漢字が当てられたようですが、

主に音訳されたもので、漢字そのものの意味は考慮されていない場合がほとんどです。

中国から伝わった表記もあるのですが、漢字と言っても日本独自のものも少なくありません。

イギリスは、中国でも日本でも「英国」ですが、日本では「英吉利」とも書かれました。

これは福沢諭吉によるもの。

出版社「福澤屋諭吉」から明治2年(1869)に地理書『世界國藎』(世界国尽)が出版されました。

 

ところで、前回ご紹介しました明治16年刊の『懐中節用無藎蔵』にも「世界國名」の頁があり、

当時の世界がわかる興味深い資料です。1883年の時点で世界にどんな国が存在していたのかがわかります。

以下、手元の『懐中節用無藎蔵』をもとに国名を順に書き起こしてみました。

刷りの具合で判別しにくいものがあり(濁音など)一部ミスもあるかもしれません。

矢印のあとに、現在私たちが用いている地名に置き換えてみましたが・・・まだ調査中のものもあります。

(もしご存知の方がいらっしゃれば、どうかご教示下さい。)

 

 

○亜細亜洲(アシヤシウ) ⇒アジア

 ○大日本 →日本

 ○支那(シナ) →中国

 ○遥東印度(ヨウトウインド) →東インド?

 ○院土須丹(インドスタン) →インドスタン(ヒンドスタン)(インド北部)

 ○尾留知須丹(ビルチスタン) →バルチスタン(現在のパキスタンの一部)

 ○阿美賀仁須丹(アブカニスタン) →アフガニスタン

 ○土留喜須丹(トルキスタン) →トルキスタン

 ○邉留社(ペルシヤ) →ペルシャ

 ○荒火屋(アラヒヤ) →アラビア

 ○亜細亜土留古(アジヤトルコ) →トルコのアジア側?

 ○志邉里屋(シヘリヤ) →シベリア

 

 

○阿非利加洲(アブリカシウ) ⇒アフリカ

 ○衛士府都(エジフト) →エジプト

 ○茂禄子(モロツコ) →モロッコ

 ○阿留世里屋(アルゼリヤ) →アルジェリア

 ○戸仁須(トニス) →チュニス(現在のチュニジア)

 ○馬留加國(バルカコク) →キレナイカ(現在のリビアの一部)

 ○戸里堀(トリホリ) →トリポリ(現在のリビアの一部)

 ○邉山國(ヘサンコク) →フェザーン(現在のリビアの一部)

 ○楚森(ソモリ) →ソマリ(現在のソマリア)

 ○三義原(サンキハル) →ザンジバル(現在のタンザニアの一部)?

 ○茂山比丘(モサンヒク) →モザンビーク

 ○麻田糟軽(マタカスカル) →マダガスカル

 ○蘓爾(スール) →スール(現在のソマリアの一部)

 ○加不利加(カスリカ) →???調査中です

 ○毛武古呂尼(ケブコロニー) →ケープ植民地(現在の南アフリカの一部)

 ○那達爾(ナダル) →ナタール(現在の南アフリカの一部)

 ○発天戸地屋(ホツテントチヤ) →ホッテントットの国(現在のナミビア~南アフリカ)

 ○新部橋(シンへバル) →???調査中です

 ○下銀名(シモギンナ) →下ギニア

 ○上銀名(カミギンナ) →上ギニア

 ○理部利屋(リベリヤ) →リベリア

 ○瀬根賀宮(セネカミヤ) →セネガル

 ○沙原(サハラ) →サハラ

 ○宗段(ソウタン) →スーダン

 ○越尾比屋(エチヤヒヤ) →エチオピア

 

 

○歐羅巴洲(ヨウロツパシウ) ⇒ヨーロッパ

 ○英𠮷利(イキリス) →イギリス

 ○魯西亜(ロシヤ) →ロシア

 ○土留古(トルコ) →トルコ

 ○希臘(ギリシヤ) →ギリシャ

 ○澳地利亜(ヲスタリヤ) →オーストリア

 ○伊太利(イタリ) →イタリア

 ○佛蘭西(フランス) →フランス

 ○日耳義(ベルキ) →ベルギー

 ○和蘭(ヲランダ) →オランダ

 ○普魯亜(フロシヤ) →プロシア

 ○嗹馬(デンマルク) →デンマーク

 ○日耳曼(ゼルマン) →ゲルマン

 ○瑞西(スイス) →スイス

 ○葡萄(ポルトガル) →ポルトガル

 ○瑞典(スイデン) →スウェーデン

 ○那耳回(ナルエイ) →ノルウェー

 

○北亜米利加洲(キタアメリカシウ) ⇒北アメリカ

 ○魯西亜亜米利加(ロシヤアメリカ) →ロシア領アメリカ→アラスカ?

 ○英吉利亜米利加(イギリスアメリカ) →イギリス領アメリカ→カナダ?

 ○米利堅合衆國(メリケンガツシウコク) →アメリカ合衆国

 ○女喜志古(メキシコ) →メキシコ

 ○中亜米利加(ナカアメリカ) →中米

 ○具理陰蘭(グリインランド) →グリーンランド

 

 

○南亜米利加洲(ミナミアメリカシウ) ⇒南アメリカ

 ○古論比屋(コロンビヤ) →コロンビア

 ○部根重良(ベネジウラ) →ベネズエラ

 ○武良尻(ブラシリ) →ブラジル

 ○宇柳貝(ウリウガイ) →ウルグアイ

 ○良富羅多(ラフラタ) �→ラプラタ

 ○巴多呉仁屋(パタゴニヤ) →パタゴニア

 ○池鯉(チリ―) →チリ

 ○保里備屋(ホリヒヤ) →ボリビア

 ○平柳(ぺリウ) →ペルー

 ○巴羅貝(バラガイ) →パラグアイ

 ○赤道國(セキドウコク) →エクアドル

 ○五井梁(コリヤナ) →ガイアナ

 

○大洋洲(ダイヨウシウ) ⇒大洋州(オセアニア)

 ○澳太利亜(ヲスタリヤ) →オーストラリア

 ○新南豪尓須(シンミナミアノルス)? →???調査中です

 ○馬來西亜(バライシヤ) →マレーシア

 ○波蘭西亜(ホリネシヤ) →ポリネシア?

 ○須磨多羅(スマタラ) →スマトラ

 ○瓜哇(シヤワ) →ジャワ

 ○呂宋(ロソン) →ルソン

 其他小島群雖多畧之  (その他小島群が多いので省略、とのことです)

 

2020年05月30日

梅雨入り

庭の紫陽花(アジサイ)が見頃を迎えつつあります。

 

アジサイは日本原産なのだそうです。

奈良時代の万葉集にも、アジサイを詠んだ和歌が2種登場します。

「味狭藍」「安治佐為」として記されており、きまった表記はなかったのかもしれません。

現在の「紫陽花」となったのは10世紀、今から千年以上前の平安時代中期のこと。

歌人である源順(みなもとのしたごう)がこの漢字を当てたと言われています。

日本絵画に現れる紫陽花は、知られているものでは桃山期にさかのぼるものがあります。

京都の南禅寺に、狩野派による紫陽花が描かれた障壁画が残されています。

 

 

江戸時代には、琳派によって紫陽花がモチーフになりました。

園芸書にも紫陽花が取り上げられましたし、古伊万里のうつわにも、ときどき登場します。

江戸時代の人々の関心をうかがわせるものです。

 

 

富山は昨日梅雨入りしました。

植物たちにとっては恵みの雨。しっとりと濡れてうれしそうです。

ブルーベリーはもうすぐ収穫です。

インスタグラムでも人気のドクダミ。

ラベンダーとゲンペイコギク。

 

2020年06月12日

東都みやげ

海外のコレクターのもとへと旅立ってしまいましたが、

北陸の旧家に伝わった、東海道五十三次が描かれた染付の盃がしばらく手元にあったのです。

たいへん薄いつくりで、卵殻手と呼ばれる磁器で、高い技術が必要とされるもの。

卵殻手の品々は明治頃に生産され、海外にも輸出されていたと聞いており、

その五十三次の盃もてっきり明治期に作られたものと思っていました。

 

数か月前のことになりますが、古い木箱に収まった、5客組の盃を手に入れたのです。

「天保五年午八月」と桐箱の差し蓋の表裏に墨書があります。

天保5年は1834年。江戸時代後期です。午年とありますが、調べてみると、天保5年は確かに甲午(きのえうま)。

箱の見た目も、200年ほど経っていてもおかしくない雰囲気を帯びています。

 

中には5客の図替わりの色絵の盃。ひじょうに薄い「卵殻手」です。

この5客組が天保5年(あるいはそれ以前)の品だとしたら、

あの五十三次の盃もそれくらいの時代までさかのぼる可能性があります。

(この5客組にもっと早く出会えていたらなあ・・・)

 

さて、5客の盃は上の画像のように収められていました。

それぞれ「東都名所○○之景」「都山筆」とされています。

東都名所御殿山之景 都山筆

東都名所高輪之景 都山筆

東都名所上野清水之景 都山筆

東都名所新吉原之景 都山筆

東都名所向嶌之景 都山筆

 

桐箱の蓋には「天保五年午八月」と墨書があります。

天保5年は1834年。江戸時代後期です。午年とありますが、調べると、天保5年は確かに甲午(きのえうま)。

広重の『東海道五十三次』(保永堂版)は天保5~6年(1834~35)の作品ですが、

その前の天保2年(1831)頃には『東都名所』(川口屋正蔵版)を発表、広重の初期の風景画として有名です。

その後も版元を変えながら東都名所図を世に送り出しています。

この盃の下図もきっとその影響を受けているのでしょう。

 

 

ところで、箱蓋の表裏に見える「瀬戸」の文字。

調べてみると、瀬戸又次郎の名が見つかりました!

瀬戸家は、紀州藩の日高郡藤井村(現在の和歌山県御坊市藤田町藤井)の大庄屋を務めていた家です。

和歌山県立文書館には平成16年に『瀬戸家文書』が寄託され、整理が進められているようです。

天保九年のところに瀬戸又次郎が登場しています。

 

箱蓋の墨書はまだ解読できずにいますが、「久野様」「以戴」「東都」「家老」などの文字が見え、

東都からの品を久野氏から戴いた(賜った)ということなのでしょう。

 

2020年06月17日

江戸に下る酒

先日のブログで、東都名所図の盃について書きました。

「東都」という言葉は、西の都、京を意識したものであることはご察しの通りです。

 

江戸時代、徳川幕府のお膝元とはいえ江戸はまだまだ発展途上の都市。

江戸時代の日本経済は、まさに西高東低でした。

江戸は大消費地である一方、生産性は上方(かみがた、京阪とその近辺)や西国と比べて低く、

商品需要の大半を上方からの物資に頼っていたといいます。

上方で生産され、大消費地江戸へ輸送され消費されるものは「くだりもの(下りもの)」と呼ばれました。

下りものは上質なもの、洗練されたものの象徴。

逆に、安価なもの、質の悪いものは「くだらない(下らない)」ものとされ、

現在の、とるに足りない、つまらない、という意味の「くだらない」の語源となったといいます。

 

さて、清酒も下りものの典型例であり「下り酒」と呼ばれ、味も品質もよく、江戸でもたいへんな評判でした。

御免酒と呼ばれる江戸幕府の官用酒は下りものでしたし、江戸で消費される清酒の大半が下り酒でした。

上方でも特に酒蔵が集中した地域が摂津国。和泉国の堺を加えて「摂泉十二郷(せっせんじゅうにごう)」と呼ばれます。

かの大坂の鴻池家も、もともと摂津国伊丹での酒造業がその始まりでした。

鴻池村(現在の兵庫県伊丹市北部)は、鴻池財閥発祥の地として知られています。

慶長年間には鴻池流という清酒醸造法を確立、その流れを汲む伊丹酒は長く清酒の代表格でした。

 

四代将軍家綱の時代の万治年間、材木商であった御影の嘉納家は、当時の先端の製造業であった酒造業に着手。

灘(灘五郷)は、新興の酒造蔵として、先達の伊丹や池田を凌駕するほどの地位を確立していくのでした。

やがて嘉納家は2つに分かれます。本家の「本嘉納家」と分家の「白嘉納家」です。

本嘉納家は現在の菊正宗酒造、白嘉納家は現在の白鶴酒造です。

 

古美術に関わる者として、嘉納家といえば白鶴美術館。

世界屈指の質を誇るコレクションが有名で、私も関西にいた頃は休日を使用してときどき見学に伺いました。

神戸市の御影にあります。白嘉納家のコレクションです。

また神戸市にある日本屈指の進学校、灘校。こちらも嘉納家と深い関わりがあります。

本嘉納家、白嘉納家と、同じく灘で酒造業を営む山邑家(櫻正宗)によって設立されたのです。

 

 

2020年06月21日

梅雨空の合い間に

 

梅雨空の合い間。晴天に恵まれ、雨晴海岸へ。

「雨晴」と書いて、「あまはらし」と読みます。

運が良いと海越しに雪の積もった雄大な立山連峰が見える、富山の絶景スポットです。

日本の渚百選にも選ばれています。

 

平安時代末期の1187年、源義経の一行が山伏の姿で奥州平泉へ落ち延びる道中のこと。

にわか雨に遭い、弁慶が持ち上げたという岩の陰で雨の晴れるの待ったという伝説があり

これが雨晴という地名の由来になったのだとか。

 

 

海岸に沿って鉄道が伸びています。

高岡駅と氷見(ひみ)駅を結ぶ、JR氷見線です。

雨晴駅の駅から少し東には義経岩という踏切があります。

砂浜から線路を挟んだところに、2018(平成30)年、道の駅雨晴がオープンしました。

 

 

客船を思わせるデザイン。

3階建ての、真っ白でモダンな外観です。

 

 

レストランやショップは休業中でしたが

その展望デッキから富山湾を見渡すことができました。

潮の香りと波の音・・・お届けできるできればよいのですが。

 

 

神秘の海、富山湾。

2014年に「世界で最も美しい湾クラブ」の仲間入りを果たしたそうです。

2020年06月21日

にっこり古道具展

 

7月1日から、オンライン企画展【にっこり古道具展】を開催しています。

https://kobijutsu-matsuyama.stores.jp/

思わずニッコリほほえんでしまいそうな品々をご紹介しようという試みです。

私が「いいな、面白いな」と思った、古いモノ、和むモノ、へんてこりんなモノたち。

 

「にっこり」にちなんで「25」という数字をちりばめました。

まず、商品の種類。25種類です。

そして、商品の価格。すべて2,500円としました。

 

25種類の品々をどのようにご紹介していこうか、あれこれ考えた末、

数多くアクセスいただけるようにと、一日一点(一種類)ずつ追加することにしました。

初日である7月1日にまず5点をご紹介し、その後は20日間に渡って7月21日まで毎日更新していきます。

更新時間は毎日深夜0時です。

(更新時間も「25」にこだわり、25時(午前1時)や25時25分(午前1時25分)も検討しましたことを

お伝えしておきます。)

 

 

ところで、ちょうど20歳の頃、何かの本で、パリ市内に古新聞の専門店があることを知りました。

興味深いのは、その店にはすべての年月日の新聞が揃うというのです。

自分の生まれた年の誕生日の新聞も見つかりますよ、プレゼントにもいかがでしょう、との売り文句でした。

20年前の新聞ってどんなだろう?

日本でそんな店があるなど聞いたことがない、さすがフランス!

20歳の私の思いは全くただの好奇心だったように思います。

 

パリを初めて訪れた際、せっかくだからとその店にも足を運んでみたのですが・・・

店の住所まで苦労してなんとか辿り着いてみると、なんとその店はなかったのです(泣)

そもそも、そんな(古い)新聞を買ってどうするの?とか、日本人なのにフランスの新聞?などと自問自答していました。

価格もわからないし・・・店に入ってからとんでもない値段だったらどうしたのでしょう?

新聞だけで店を維持していたとしたら、そんなに安価な訳もなかったでしょうね。

 

さて、いざ自分で商売を始めてみると、当初思い描いていたようにはなかなかいきません。

好きなことをしながら生活ができるというのは理想的なことですが、

商売となると、お金や採算のことを考えなければならないのです。

この「にっこり古道具展」はどこか趣味の延長線上にあります。

現実的に採算を考えれば、この価格とこの点数、なかなか難しいものがあります。

おそらく都市部の貸会場での開催はほぼ不可能でしょうが、

幸いにもインターネットの恩恵があり、SNSも活用すれば商機が見えてきました。

しかしながらこの「にっこり古道具展」、利益や採算よりも、共感して下さる方たちとの出会いやつながりに重きを置いています。

 

試行錯誤の【にっこり古道具展】は、今月7月31日(金)23:59までの開催です。

ご覧いただけましたら嬉しく思います。

 

 

2020年07月02日

十二町潟水郷公園(氷見市)~大伴家持と布施水海

 

三十六歌仙のひとり、大伴家持(おおとものやかもち)は、万葉の歌人として知られています。

万葉集の成立にも深く関わったといわれています。

聖武天皇から桓武天皇までの歴代天皇に仕えた大伴家持は、名門大伴氏の棟梁でもありました。

大和朝廷成立当初から主に軍事面で功績を立て確固たる地位を築いてきた大伴氏。

しかし奈良時代から平安時代初期にかけて、橘氏と藤原氏の政争のはざまで

一族から多数が処罰された大伴氏は、次第にその勢力を失っていくのでした。

大伴家持の父、大伴旅人は、長屋王の変で長屋王と親しかったとされ大宰府に左遷されますが

その長男である家持も度重なる左遷を経て、中央と地方とを行き来したのです。 

 

 

天平18年(746)、家持29歳。

越中守に任命され、天平勝宝3年(751)に少納言となり帰京するまでの5年間、越中国に在任しました。

家持の越中国赴任に、当時の最高権力者、橘諸兄の計らいともいわれ、

(新興の藤原氏を抑える布石として派遣されたという)栄転説と、左遷説とがあるそうです。

 

ところで万葉集で確認できる27年間の歌歴のうち、越中時代の5年間に詠んだ歌は223首。

それ以前の14年間には158首、以後の8年間は92首ですから、数を比較してもわかるように、

歌人として最も意欲的で充実した期間だったと考えられています。

中央での政治的緊張から離れていたこともあってのことでしょう。

 

 

先日、富山県氷見(ひみ)市にある十二町潟水郷公園を訪れました。

氷見は海辺のまちですが、この地からも貝殻が多く出土しており、縄文時代は海だったと考えられています。

土砂の堆積や干拓によって、万葉の時代から小さな湖となり、「布施水海(ふせのみずうみ)」として親しまれてきました。

布施水海は家持もたいへん愛し、たびたび訪れては舟を浮かべ、その美しい景色を歌に残したのです。

この地で都から来た客人をもてなす宴が開かれていたという言い伝えも残されています。

 

 

十二町潟は、オニバスの生息地としても古くから知られており、

十二町潟といえばオニバス、オニバスといえば十二町潟とまで言われていたのだとか。

大正12年(1923)国の天然記念物に指定されたものの、環境の変化により昭和50年代には絶滅したと考えられていました。

十二町潟水郷公園の一角にはオニバスの池があり、オニバスの育成保護が行われています。

 

 

少しゆがんだ淡い青磁の小皿を蓮の葉に見立てて。蓮の花をかたどった白磁の小壺と合わせてみました。

 

2020年07月04日

オンライン企画展

古美術松山では、このウェブサイトの他にも、Instagramでも商品をご紹介しています。

またヤフオクでも「小さな企画展」と称し、テーマを設けて数点~約20点ほどの品々をご紹介しています。

今年の7月からは、新たな試みとして、他サイトにおいて「オンライン企画展」を始めました。

https://kobijutsu-matsuyama.stores.jp/

 

その第1弾が【にっこり古道具展】。

『思わずニッコリほほえんでしまいそうな品々を「にっこり」2,500円均一で』

休業や外出の自粛要請が解除され、久々に外の空気を、と外出。

お店に入れば、皆さん晴れやかな表情をされているのが本当に印象的で

まわりのにこやかな笑顔を見ることで自分自身も救われるような思いがして、

いかに笑顔が大切か、つくづく感じたのです。

少しでも「にっこり」が増えればと試みた企画でもありました。

 

Instagramのフォロワー数3000を目前に控え、到達のプレイベントとして企画した第2弾【Sake Utensils 酒の道具】。

酒器の代表格、酒盃や徳利、片口をはじめ、

お酒のシーンで使ってお楽しみいただきたい品々をご紹介しようというものでした。

 

第3弾【3Q3K】(サンキュー・サンケー)は

3Q=Thank you(※ネットスラングです。)

3K=3000(kは「1000」の意味)

ということで、「Thank you 3000 (followers)」にちなんでの開催。

『感謝の気持ちを込めて、気軽な骨董を39点3,000円均一で』

 

たくさんの方にご覧いただきまして、誠にありがとうございました。

新しいご縁が数々生まれたのは大変うれしいことですし、

馴染みの皆様からのご声援も大きな励みとなりました。

本当に、本当に、ありがたいことでした。心から感謝申し上げます。

 

開催方法やシステムについては反省点もあります。

お客様からいくつかご要望も伺いました。

商品の追加更新の時間帯や、お支払い方法について、

また、日時をまたがるご注文の場合のお取り置きについて、など。

しばらく時間をかけて落ち着いて振り返りながら

次回のオンライン企画展に向けて準備していきたいと考えています。

 

当ウェブサイトに「online exhibitons」(オンライン企画展のご案内)ページを設けました。

開催中や開催予定の企画展につきましては、こちらをご覧いただければと思います。

 

 

今後、オンライン企画展の合い間には、【季節のうつわ】をご紹介させていただくことにいたしました。

詳しくは、改めてご案内させていただこうと思っています。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

2020年08月21日

加賀の野に咲く百合

先日、用事があって久しぶりに石川県九谷焼美術館に伺ってきました。

美術館に向かう道中のこと。

加賀市内に入り、途中寄り道していると、ふと立派な百合の姿が目に入りました。

これは!と思った私は、車をいったん停め、

歩いて少し戻って、そのみずみずしい白い花をしばらく眺めていたのです。

 

美しいものが見られたと、喜びながら再び車を走らせ美術館に向かいます。

たしか吉田屋に有名な百合の図の皿があったよな・・・

グリーンの背景に映える真っ白な百合の花が、

私の記憶の中の九谷・吉田屋窯(江戸時代後期)に描かれる百合の図とオーバーラップしていました。

 

しばらくして住宅地にさしかかると、なんと群生する百合が。こんなにいっぱい。

吉田屋窯は江戸時代後期の文政年間に、現在の加賀市内に築窯されました。

今からおよそ200年前のことです。

百合はこの地の人々にとって、本当に身近な植物だったのでしょう。

おそらくは今よりもっと多くの花が咲き誇り、壮観な光景が広がっていたに違いありません。

 

九谷焼美術館に到着。

館内には、企画展示室のほかに常設の展示室として、青手の間、色絵・五彩の間、赤絵・金襴の間があります。

青手の間は、古九谷や吉田屋の作品が中心です。

ひょっとして・・・と思っていたら・・・ありました!百合の図。

黄の背景に紫の百合の花。

色の組み合わせこそ違えど、まさに先ほど目にした光景をそこに見る思いでした。

 

2020年08月24日

重陽の節句

今年の葉月ももう終わろうとしています。

梅雨が明けて以来、雨の日がほとんどなく、日差しの厳しい日が続きました。

植栽への水やりが日課となっています。

 

人にとっても厳しい夏でしたが、植物たちにとっても同じです。

厳しい直射日光には参ってしまった枝を見つけたときには可哀そうなことをしたと思いましたが

なんとか生きていてくれれば・・・と毎日水は欠かさず与えていたのです。

その甲斐あって若い葉が!

生命力を感じた一瞬でした。

 

朝晩には虫の声が響き始めました。

空模様も・・・夏の雲から秋の雲へと変わりつつあります。

秋ももうすぐそこまで来ています。

 

さて、9月9日は「菊の節句」こと「重陽の節句」です。

菊の花を飾ったり、菊の花びらを浮かべて香りを移した菊酒を飲んだりして

菊を楽しみながら不老長寿を願う行事。

この節句の起源もやはり中国にさかのぼります。

陰陽思想では奇数は陽の数とされ、奇数が重なる日を幸多い日と考えました。

中でも一番大きな陽の数「9」が重なる9月9日は、陽が重なる「重陽」として

たいへんおめでたい日なのです。

旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句とも呼ばれるようになりました。

 

この重陽の節句に合わせて、オンライン企画展【重陽の節句】を開催いたします。

菊の意匠の品々を特集してみるよい機会ではないかと思います。

詳細につきましては、当サイトの「オンライン企画展」の頁でご案内しています。

9月9日をはさむ2週間、9月1日(火)から9月14日(月)までの開催です。

期間中、毎日正午に品物を追加更新いたしますのでご覧いただければ幸いです。

https://kobijutsu-matsuyama.stores.jp/

InstagramTwitterでも、でも商品や更新情報をご案内していきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

2020年08月31日

台風と虹

 

9月6日。

台風10号が接近、遠く離れた日本海側の北陸にいる私も、ただ祈るばかりでした。

100年に一度の大雨との話を聞き、どうか被害が最小限にとどまりますように・・・

 

 

9月7日。

屋久杉でできた箱が、ご縁あって私のもとにやってきました。

 

屋久島も台風常襲の地。

古いものだとその樹齢が数千年になる屋久杉は、栄養の乏しい花崗岩の上で

数百年、数千年という長い歳月の過酷な風雪に耐えてきました。

 

厳しい環境の中でゆっくりゆっくり時間をかけて大きく育った証が細かく詰まった木目に刻まれ、

箱の蓋を開ければ、芳香がやさしく漂います。

 

 

夕刻。空には感動的な大きな虹がかかりました。

まさに "l'arc en ciel"(ラルクアンシエル)フランス語でいう「空にかかるアーチ(=虹)」。

こんなに立派で美しい虹は見たことがないかもしれません。

そして、何かよいことがありそうな、ダブルレインボー。

 

 

 

台風一過。

9月8日、また猛暑が戻ってきました。

 

2020年09月08日

田園ランチ

 

先日、あいにくの雨でしたが、素敵なカフェを見つけました。

雄大な立山連峰を臨む、田園の中の静寂につつまれた空間。

 

世界的な建築家、隈研吾さんの設計による建築が、またひとつ富山に生まれました。

前々から話には聞いていて、建物自体も見たいと思っていたのです。

 

 

ハーブの楽園、Healthian-wood(ヘルジアンウッド)。

香りと食。今年オープンしたばかりの健康志向のカフェレストランです。

 

周囲はまだ建設工事中で、どうやら広大な敷地に美しい村をつくろうというプロジェクトらしいのです。

駐車場からは少し歩かなければなりません。

傘を持たずに出かけてきてしまい、小走りで向かうと

なんと店内から現れた女性スタッフが傘をさして迎えに出て下さいました。

 

 

ガラス張りの素敵な店内。照明の装飾にもハーブ。

テーブルやチェアは、富山県産の杉を用いた特注品なのだそうです。

 

 

こちらはランチ限定の空間 "The Kitchen"。

別にディナー用の個室の棟("The Table")もあるのだとか。要予約です。

 

 

見渡す限り続く田園風景。見事な借景です。

まわりはほぼ田んぼ。季節とともに、稲の成長によって変化する景色が楽しめそうです。

 

 

ハーブエリア。

専門のスタッフが丁寧に説明してくれました。

予約されたディナー用に、この時間からハーブティーの準備が始まっていました。 

 

ところで、壁面には藁が敷き詰められた「ストロヘイル」。

これも富山県産の藁!

 

 

ランチメニューは、プレートランチが中心。

ちなみにトレイも富山県産の杉を用いたものです。

 

真鍮製か、小さな箸置きが素敵で「欲しい!」と思いました。

スタッフに尋ねてみましたが、販売はしていないとのこと。残念。

トレイに対してかなり小さな箸置きは、特注品。

お客様に所作をきれいにしていただければ、というお店の心にくい配慮でした。

 

そうそう、お手拭きもハーブの香りつきでした!

 

 

店内ではハーブティーも堪能できます。

二十四節季をもとにした季節限定のハーブティーも。

ショップでも購入可能とのことですが、店内限定のものもあります。

 

 

自然素材にこだわった健康的な食事。

それにも増して、おだやかで静かな空間でのひとときは、最高の贅沢でした。

 

2020年09月12日

菊と動物

昨日、オンライン企画展【重陽の節句】が終了しました。

今回もたくさんに方にご覧いただき、本当にありがとうございました。

 

菊の季節に向けて、菊をモチーフとした品々をご紹介する試み。

今回ご紹介したのはやきものが中心でしたが、

日本では古くは平安時代から工芸に菊の姿が現れ始めますし、

おそらく絵画も同様かと思われます。

かたどる、描く、捺す。

さまざまな技法で表されれながら、生活や暮らしの中に取り入れられた菊。

日本人にとって、ずっと身近な植物だったことを改めて感じることができました。

 

 

さて、次回のオンライン企画展は、動物をテーマとしてみたいと思っています。

日本では、毎年9月20日から9月26日まで、「動物愛護週間」(Be Kind to Animals Week)です。

また毎年10月4日は「世界動物の日」(World Animal Day)です。

これらに合わせて、その名も【Be Kind to Animals】。

 

ちなみに、動物愛護週間が現在の9月20日からの一週間となったのは1974年のことで

日本で始まった1927年は、5月28日から6月3日までの一週間の開催でした。

動物愛護週間の発祥はアメリカ、1915年のことです。

 

世界動物の日は、1931年にフィレンツェ(イタリア)で行われた国際会議(「国際動物保護会議」)で制定。

10月4日が選ばれたのは、動物の守護聖人であるアッシジのフランチェスコの聖名祝日だからだそうです。

アッシジのフランチェスコは、こう説きました。

「神の前では人も動物も、あらゆる神の被造物は神を父とする兄弟姉妹であり、平等である」

世界の多くの教会では、10月4日に近い日曜日に動物のための祝福を行うそうです。

今日では宗教や国籍を越えて、動物愛好者によって祝福されています。

 

 

【Be Kind to Animals】に向けて、ただいま準備中です。

9月20日(日)から10月4日(日)までの開催を予定しています。

どうぞお楽しみに。

※詳細は当ウェブサイト「オンライン企画展」ページにてご案内しています。

 

 

2020年09月15日

さつまいもの日

突然ですが、「十三里」とあらわされる食べ物をご存知でしょうか?

正解は、サツマイモ!

 

サツマイモは、中国から日本にやってきました。

17世紀前半には琉球に、18世紀初頭には薩摩国に広まったと言われています。

朝鮮通信使の記録によれば、享保4年(1719)、京都郊外で焼きいもが酒や餅と共に売られていたそうです。

その看板には「八里半」の文字が書かれていました。

それまで蒸して食されていたサツマイモ。

焼いても美味ということになり、「栗(九里)に近い(やや及びませんが)」という意味で

「八里半」と名付けられたのだとか。

享保年間、小石川植物園で種芋の栽培が成功したのをきっかけに、関東でもサツマイモの栽培がさかんになりました。

そして寛政5年(1793)には江戸で初めてのやきいもが売り出されます。

「栗よりうまい」→「栗(九里)より(四里)うまい」→「九里+四里⇒十三里」

この洒落が江戸っ子の間でも評判となり、瞬く間に人気を集めたのです。

 

1987年に埼玉県川越市の「川越いも友の会」によって、サツマイモの旬にあたる10月13日は「さつまいもの日」に。

おいしいサツマイモの産地としても知られる川越。

江戸から川越までは約52km「十三里」の距離になります。

 

 

古伊万里のうつわでいただくさつまいもごはん。

ほっこり甘いさつまいもでした。

 

2020年10月13日

越中仏像散歩〜弥勒山・安居寺

 

富山県南砺市にある、弥勒山安居寺を訪れました。

インドの僧、善無畏三蔵が開基、創建は養老2年(718)と伝えられる真言宗の寺院です。

天平元年には聖武天皇が勅願寺と定め、行基が勅命を受けて壮大な伽藍を造営したといいます。

平安時代には花山法皇、中世には吉田兼好や飯尾宗祇も訪ねたそうです。

 

本尊は木造聖観音菩薩立像。秘仏で33年に一度開帳されるのですが、

毎年10月18日には虫干しのため収蔵庫が開扉され、像の拝観が可能なのです。

ガラス越し、やや距離のある位置からはほぼシルエットだけでしたが、わかりやすい平安の姿でした。

カヤ材の一木造り。イヤリングを付けた仏像は国内でも珍しいのだとか。

 

浄土真宗王国ともいえる富山県。

しかし創建が奈良時代にさかのぼるとされる寺院も存在し、

平安まで遡る古い仏像も伝存していることはなんだか喜ばしいことのように感じます。

幼少期と大学生活、古美術の修行生活をのぞくと人生のほとんどは富山にいるのですが

まだまだ知らないことが本当に多いですね。  

 

まだ古美術の修行中、関西にいた頃のことです。

大和文華館(奈良)に「東アジアの金銅仏」展(平成11年)の見学に行き、

初めて「立山神像」なるものを目にしました。

キャプションを見た瞬間の「えっ、ひょっとして、あの立山?」

とても驚き、そして感激したのでそのときのことはよく覚えています。

立山といえば富山県民なら誰しも小さな頃から親しんでいる、富山県で最も有名な山なのです。

正直なことを言えば、私もそれまでレジャーのイメージしかありませんでした。

が、その立山神との出会いを機に、立山が富士山とも並ぶ日本を代表する霊山であることを知り、

立山信仰にも関心を持ち始めるようになったのです。

江戸期のものですが、後に立山曼荼羅を扱うことができたのも、

このときの出会いがあったからこそだったように思っています。

 

遠方への移動する機会がめっきり減ってしまいましたが

近くにもまだまだ知らないよい場所、よいものがありそうです。

 

2020年10月18日

越中仏像散歩〜大岩山・日石寺

 

剱岳(つるぎだけ)は、北アルプス北部、立山連峰の一峰で、標高2999mを誇る霊峰。

上市(かみいち)は、富山県東部に位置し、剱岳の麓に広がる静かな山あいの町です。

古来から立山修験の裏参道に通じ、信仰の里として栄えました。

平安時代末期から鎌倉時代にかけての寺院や経塚がまとまって発見された黒川遺跡群は

当時の宗教や信仰、地域社会との関係を示す北陸地方の代表的な事例として、国指定の史跡ともなっています。

 

さて、近年ではむしろ森林セラピーに注目や関心が集まっている上市は、

富山でも有数のパワースポットでもあるのです。

その代表格が、大岩山・日石寺。

私も幼い頃に訪れているかもしれないのですが、自らの意志で訪れたのはつい最近のことでした。

私の中のそれまでのイメージは、滝と、岩に彫られた不動明王(「大岩不動」)。

このお寺には滝があって、白装束に身を包んでの滝行体験ができるのです。

棟方志功もこの地を訪れ作品を残しています。(棟方の版画作品は市場にもときどき現れます。)

 

ところで・・・百聞は一見に如かず。

拙い写真ですが、その迫力が少しでも伝われば・・・

 

大迫力!仰天しました。平安期の不動明王、その高さは 3,153cm。なんと3mを超えているんです。

しかも前方に傾き気味に彫られており、見下ろす者たちにまさに迫りくる印象です。

棟方志功もこのエネルギーをきっとその肌で感じ取ったに違いありません。

また、驚くべきは、なんと屋内⁉ということ。

東大寺の大仏殿をイメージしていただければと思います。

信仰の中心、不動明王を風雪から保護するための覆堂(ふくどう)は「不動堂」と呼ばれ、本堂となっています。

 

磨崖仏(まがいぶつ)の作例は、北陸や東海地方では数が少ないと聞いています。

そんな中、日本でも第一級の作品が、こんな間近にあったとは・・・

県外からお客様がいらっしゃると、おすすめの美術館はどこですか?とよく尋ねられるのです。

地方都市の美術館としてはたしかによい美術館は富山にもあるのですが

充実した国立・公立・私立の美術館が多い大都市とは質量ともに規模が全く違うことを知っているので

やはりご案内するには物怖じしてしまいます。

しかしこればかりはぜひ見ていただきたいですね。

寺伝によれば、大岩山日石寺の開基は行基。

神亀2年(725)行基によって一夜のうちに凝灰岩の巨岩にこの不動明王が彫られたとされています。

 

この不動明王像をご覧になればお分かりのように、大岩山日石寺の歴史は古いです。

立山や剱岳における山岳宗教の行場として興り、平安期には真言密教や修験の道場として栄えたといいます。

中世には大社として60の坊社、僧兵は1000を超えたとも。

天正年間(1585頃)上杉謙信の兵火に遭って山内は全焼。

しかし慶長年間に加賀前田家の庇護を受け再興します。

昭和42年(1967)に火災に遭って江戸期の建造物や資料の大半を焼失しました。

その際、慶安4年(1651)に加賀前田家3代利常により建立された不動堂も焼失。

現在の不動堂は昭和43年(1968)に日石寺信徒の寄進等によって建立されたものです。

 

2020年10月19日

大岩不動と霊水

 

先日のブログでご案内した、富山県上市町の大岩山日石寺。

こちらをお参りされたら、ぜひおすすめしたいご当地グルメがあります。

それは、大岩そうめん。

大岩山といえばそうめんというほど、昔から有名です。

おいしい水が育む、スッキリとしたのどごし。

絶品です。ぜひご賞味下さい。

デザートには白玉やぜんざいもどうぞ。やっぱり水がよいのでしょう。美味です。

 

百段坂という、山門に至る長い階段があるのです。

その下と乗り切った門前にはそれぞれ食事処(旅館)があり、いずれのお店でも美味しくいただけます。

ちなみに百段坂下の「金龍」はいつも長蛇の列です。

上の画像は、門前の「だんごや」でいただいた山菜定食です。

となりには「大岩館」という店もあります。

 

 

大岩山日石寺の境内の霊水「藤水(ふじみず)」も人気で、特に眼病に効果があるのだと聞いています。

加賀藩には名医が多いが、眼医者がいなかったのは大岩の不動さんが目を治してくださるからだという伝承があるほど。

また、少し車を走らせると「城山の湧水」があります。

北アルプス剱岳に降り注いだ雨や雪が時間をかけて湧き出した霊水です。

超軟水の天然水。この水で入れるお茶やコーヒーは全くの別物に生まれ変わります。

 

 

ところで・・・

10月から11月にかけて、飲み物にまつわる記念日が多いのをご存じでしょうか。

 

10月1日「日本茶の日」天正15年(1587)豊臣秀吉が北野大茶湯を開催。

10月1日「国際コーヒーの日」ブラジルのコーヒーの新年度が始まる日なのだそうです。

10月31日「日本茶の日」建久2年(1191)栄西が宋から茶の種を持ち帰った日(=日本茶栽培のはじまり)

11月1日「紅茶の日」寛政3年(1791)大黒屋光太夫がロシア女帝エカテリーナ2世招待の茶会で本格的な欧風紅茶を飲みました。

 

これらにも関連して、またオンライン企画展を開催いたします。

今回のテーマは【一服 Ippuku, Peace in a Cup】

ティータイムやコーヒーブレイクにちょっとお使いいただきたい、

カップとなるうつわやお茶請け用の小皿、盆などをご紹介できればと思っています。

週明けからのスタートです。

 

2020年10月23日

日本茶の日

 

今日はハロウィン。

満月のハロウィンは、なんと1974年以来、46年ぶりとなるそうです。

 

ところで、10月31日は「日本茶の日」でもあるのです。

実はもう一日、10月1日も「日本茶の日」と定められています。

これらの両日とも、語呂合わせではなく、歴史的史実に基づいて制定されているのです。

(なお「旧暦」ですので、正確には現在の日付とは異なります。)

 

まず10月1日ですが、天正15年(1587)、京都の北野天満宮の境内において「北野大茶湯」が開催されました。

主催者は、豊臣秀吉。茶頭すなわちプロデューサーは、千利休。

空前絶後の大茶会で、身分をかかわらず参加できたといいます。

それまで特権階級のものであった茶の湯が、この一大イベントによって庶民に広く浸透する契機となったのです。

 

そして10月31日。こちらは平安時代の最末期までさかのぼります。建久2年(1191)。

のちに臨済宗の開祖となる明菴栄西は、平氏の庇護を受けて二度入宋し禅を学んでいましたが

この年、二度目の帰国となりました。

その際、禅とともに持ち帰ったのが喫茶の風習と茶の種でした。

当時の日本には、すでに中国から茶は伝わっていたのですが、貴族や僧侶のみが嗜んでいましたし、

遣唐使の廃止とともに中国から伝わった文化のひとつともいえる茶の文化も衰退していたといいます。

栄西が茶の種を植えたことが、日本における茶の栽培のスタートと考えられている所以です。

栄西は『喫茶養生記』を著し、茶の栽培や煎じ方、そして喫茶の効能について述べました。

鎌倉時代に成立した歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』によれば、

宿酔(ふつかよい)で苦しんでいた将軍・源実朝に、栄西が一杯の茶とともに本書を献じたと記されています。

当時の茶は医学的な薬としての意味合いが強いのです。

 

当時、喫茶には今でいう「天目」茶碗が用いられていました。

天目という名称は、15世紀初め頃、日本で名付けられたのだそうです。(由来には諸説あります。)

日本では、はじめ茶碗(=天目)を中国からの輸入品に頼っていたのですが、

茶の普及とともに茶碗の数が不足し、輸入品だけではまかなえなくなってしまうのです。

一方、瀬戸地方では当時すでに中国のやきものに倣った施釉陶器を生産しており、技術がありました。

やがて中国の「唐物」の天目に倣った茶碗が、瀬戸で焼かれ始めるようになるのでした。

瀬戸天目が作られ始めたのは鎌倉時代の後期頃とされています。

 

 

瀬戸天目も時代とともにその器形に変遷が見られます。

上の画像の茶碗は江戸期のもの。

ただいま開催中のオンライン企画展【一服 Ippuku, Peace in a Cup】に出品中です。(~11/8)

お時間がございましたら、オンライン企画展の方もご覧いただけましたら幸いです。

https://kobijutsu-matsuyama.stores.jp/

 

一服、一福。

【一服 Ippuku, Peace in a Cup】は、11月8日(日)23:59までの開催です。

 

2020年10月31日

鬼征伐

 

最近、偶然出会った九谷焼の鉢。

もともとおとぎ話系の図柄にはアンテナが反応してしまうのです。

この鉢も「金太郎!」と一目で判断、終活中という蒐集家の方からお譲りいただきました。

 

よく見ると、たしかにマサカリがあるので金太郎なのはほぼ間違いないのですが・・・

組み合わせが、熊や動物たちではありません。なんと4人の鬼です。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、強い金太郎は実在した武士、坂田金時(の幼名)なのです。

やがて侍となり、清和源氏の流れを汲む平安時代中期の武将・源頼光に仕えることとなります。

金時は源頼光の四天王として活躍、のちに室町時代以降の御伽草子で伝説化されることとなるのです。

 

童子の姿で描かれているものの、坂田金時と鬼の組み合わせは、

おそらく御伽草子「酒吞童子」の一場面なのでしょう。

酒吞童子は平安時代に京に恐怖を与えた鬼たちの頭領、最強の鬼でした。

陰陽師・安倍晴明の占いによって鬼の存在を知った時の天皇、一条帝は源頼光に討伐を命じます。

頼光は四天王とともに鬼の居城、大江山へと向かうのでした。

 

「酒吞童子」は南北朝時代から室町時代の成立と考えられていますが、物語の時代設定は平安時代中期頃となっています。

一方、鬼や鬼退治といえば、桃太郎を連想される方のほうが多いのではないでしょうか。

桃太郎も(諸説ありますが)室町時代頃の成立と言われ、

そのモデルは古事記や日本書紀に登場する吉備津彦命 (きびつひこのみこと)だという説もあります。

 

 

大人気の『鬼滅の刃』。ストーリーの時代設定は大正時代です。

宿敵である鬼たちの始祖であり最強のラスボス、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)。

鬼舞辻無惨は鬼になる前は人間の少年でした。平安時代にまでさかのぼるそうです。

作者の吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)さんは、日本の鬼伝説についてもきっとよくお調べになっていらっしゃるのでしょう。

御伽草子とも重なるような印象を受けました。

 

劇場版、公開初日の10月16日に観に行ってきました。

あれからもう1か月が過ぎようとしています。早いものです。

2020年11月12日

浪漫・ロマンとブラックフライデー

 

先日11月25日(水)から、オンラインショップ "MATSUYAMA" にて

オンライン企画展【文具浪漫】が始まりました。

11月29日「いい文具の日」にちなんだ小さな企画展で、

骨董やレトロな雰囲気漂う文具をご紹介しています。

 

 

ところで、「浪漫」というのは、フランス語「roman(ロマン)」に、

夏目漱石が「浪漫」と漢字を当てたものです。

漱石の講義録『文学論』(明治44年・1907)の中に登場しています。

「表現の写実にして取材の浪漫なるものあり。取材の写実にして表現の浪漫なるものあり。」

夏目漱石は福沢諭吉とならんで数多くの外国語を日本語の中に取り込みました。

 

ところで、最近よく耳にする「ブラックフライデー(Black Friday)」。

黒い金曜日って何?

と思っていたのですが・・・

今年は昨日11月26日(木)がアメリカの「感謝祭」サンクスギビング・デー(Thanksgiving Day)、

正確には11月の第4木曜日で、アメリカでは祝日のひとつなのです。

そしてその翌日(11月の第4金曜日)が、アフター・サンクスギビング・デーとも呼ばれる、

「ブラックフライデー」なのです。今年2020年は、本日11月27日(金)となります。

1961年頃から始まり、1975年頃に定着したといわれており、まだ60年ほどの比較的新しい言葉です。

ブラックマンデー(1987年、世界的株価大暴落の始まり)と響きが重なり、マイナスイメージなのかと思いきや、

ブラックマンデーよりも古い言葉でした。

アメリカでは、当初は不快に思う声もあったらしいのですが、現在では良い意味で使われているそうです。

「小売業者が儲かり黒字になる金曜日」

 

私も聞き知ったのは近年のこと、

いずれ、クリスマスやバレンタインデーのように、カタカナ表記で定着し、

さらに商業イベントとして日本で独自に展開していくのでしょうね。

 

さて、おかげさまで先日、古美術 松山のインスタグラムのフォロワーが5000に到達いたしました。

https://www.instagram.com/kobijutsu.matsuyama/

皆様、本当にありがとうございます。

突然のサプライズとなりますが、本日11月27日(金)24時間限り有効な割引クーポンを発行させていただきました。

古美術 松山が現在展開している3つのオンラインショップでご利用いただけるものです。

・MATSUYAMA   https://kobijutsu-matsuyama.stores.jp/

・Thankyou_3000 https://thankyou3000.thebase.in/

・monotone     https://matsuyama88.thebase.in/

掲載商品でご購入の際には、クーポンコード【BF2020】を入力してご利用ください!

ご利用いただける期間は、2020年11月28日(土)0:00 [日本時間] までとなっております。

ご利用金額やご利用回数の制限はございませんので、この機会に、ぜひご活用ください!

 

 

 

最後に、当ウェブサイト(ホームページ)のページ上部のナビゲーションは

ウェブサイトの内容充実に伴い、更新されています。

「Links」という表示にお気付きでしょうか?

こちらから、古美術 松山が関係する各サイト(SNS、オンラインショップ)へのリンクが張られています。

各サイトへのアクセスがより簡単になりました。

ぜひお試しいただければと思います。

 

2020年11月27日

Thankyou_5000

 

2020年、霜月の最後は満月の夜でした。 

 

今日から師走。

先日、古美術松山のインスタグラム(@kobijutsu.matsuyama)のフォロワー数が5000に到達しました。

皆様、本当にありがとうございます。

感謝の気持ちを込めて、オンラインショップ "MATSUYAMA" にて本日から記念のオンライン企画を開催しています。

その名も【Thankyou_5000】

本日12月1日(火)から12月25日(金)までの開催です。

ご覧いただけましたら幸いです。

 

 

今回、数字の「5」にこだわってみました。

まずは、フォロワー数にちなんで「5000円均一」で商品を並べています。

「5×5=25」で25日間の開催としました。

「50種類」以上の商品をご紹介する予定です。

また、オンラインショップでご購入履歴のあるお客様やフォロワー(会員)の皆様、

そしてこのホームページやSNS(Instagram、Facebook、Twitter)をご覧いただいている皆様を対象に

限定の割引クーポン「【Thankyou_5000】クーポン」を発行させていただきました。

 

 

 

オンラインショップではご購入時にクーポンコード【3Q5K2020】を入力いただくと掲載商品が「500円OFF」に。

あるいは、電話やメール、DM(ダイレクトメッセージ)等でご注文いただく際にクーポン使用の旨をお伝えいただければ

「500円OFF」適用とさせていただきます。

有効期間は会期中(12/1~12/25)、金額や使用回数等の制限はございません。

ぜひこの機会にご活用いただければと思います。

 

今後とも、古美術 松山をどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

2020年12月01日

晩秋の散歩 上市・大岩山~立山町

 

冷たい雨の合間に青空が広がった先日、久々に大岩山へ。

 

本堂の摩崖仏・不動明王にお詣りした後は、必ずいただいてくるのが、こちらです。

癒しの香袋。

檜と丁子の香りがなんとも心地よいのです。

「決断の日の為の入浴にもいかがでしょうか」というコピーが気になって、試しに求めてみたところ

とてもよかったので、以来、お詣りの度に分けていただいて帰ってきます。

香り袋として、部屋や車内に置いてその香りを楽しまれる方が多いとのことですが

我が家では入浴時に、浴槽にこの袋を入れて「檜の湯」を楽しんでいます。

体が長時間ぽかぽかになって、夜もぐっすり眠れるのです。

だんだん香りは薄くなってしまうのですが、試してみたら数回は使えます。

大岩山にいらっしゃる機会があれば、ぜひおすすめの品です。

 

 

日石寺を出たあとは、例のごとく湧き水を汲んで、富山市内へと向かいます。

大岩山日石寺のある上市(かみいち)町から富山市内までは車だと一般道で40分~50分ほどの道のりでしょうか。

今回は、大岩山門前での名物・大岩そうめんは見送って、

帰途の途中にあるモンベルヴィレッジ(立山町)でのランチです。

 

アウトドアのモンベルストアは全国にあると思いますが、こちらは全国初の大型複合施設。

モンベルストアに加え、スポーツサイクルストア「モンベルサイクル」、

カフェやライフスタイルショップもあります。

上の画像で建物の手前に直方体の岩のようなものが見えるかと思いますが・・・

こちらではクライミング体験ができるのです。また屋外の人工池では、カヤック体験もできます。

11月いっぱいなので、年内の体験は終了していました。

 

以前は田んぼしかなかったこの辺りも、近年、新しい施設やおしゃれなショップも増えてきました。

モンベルヴィレッジの向かいには、ガーデニングショップ「niwanoso」があります。

"niwanoso"←ニワノソ←庭の素。

お店の向こうに見えるのが、雄大な立山連峰です。

うっすらと雪が積もり始めています。

 

玄関の枝にはサンタクロースの帽子。

こちらも少し、クリスマスモードになってきました。

 

立山連峰は富山県内のさまざまな場所(いたるところ)から眺めることがきるのですが

やはりふもとの立山町、山々が間近で迫力があります。

空気も澄んでいて、いっそう美しく映っているように感じます。

 

 

2020年12月05日

小春日和と栂並木

本日2020年12月13日(日)11時、北陸自動車道の「上市スマートIC」が開通しました。

今年、私も何かと訪れる機会が増えた富山県の東南部に位置する町、上市(かみいち)。

立山連峰の名峰、剱岳(つるぎだけ)のまさにふもとにあります。

剱岳には、かの弘法大師が草履1000足(3000足、6000足とも)を費やしても登頂できなかった、

という言い伝えもあります。

不動明王が本地仏。上市は、山岳信仰と修験によって発展した町です。

これまで私のブログでも何度か紹介させていただきましたが、交通も整備されてアクセスもよくなりました。

より多くの皆様に訪れていただければいいなと思っています。

 

さて、今日の富山は冷たい雨が断続的に降っていました。

明日はいよいよ雪まじりか、という天気予報です。

 

一週間経つのは本当に早いものですが、先週末、再び上市を訪れました。

この日はまさに小春日和。あたたかい一日でした。

今回の目的地は眼目山・立山寺(がんもくざん・りゅうざんじ)。

曹洞宗の名刹で1370年、大徹宗令禅師による創建です。

 

 

上市、そして富山が誇るパワースポットで、近年は森林浴で癒されるという森林セラピーでも有名に。

2018年に公開された岡田准一さん主演の映画『散り椿』のロケ地としても脚光を集めました。

参道の栂(とが)並木が本当に印象的なのです。

 

 

参道を300mほど進むと、左手に本堂へと続く総門が見えてきますが、

参道のさらにその先には山道が続いており、探検してみることにしました。

アップダウンのある山道が続きます。山間なので肌寒いかと覚悟してきたものの、汗をかいて上着を脱ぐほど。

道はこの眼目山立山寺の開山にまつわる「坐禅石」へと続いていました。

 

 

どうぞ、スニーカーでいらっしゃることをおすすめいたします(笑)

 

 

夕刻の剱岳。

本当に見事なパノラマが広がっていました。 

帰路、偶然にもこの光景に出会い、思わず車を止めて撮影したのです。

拙い写真でその魅力をお伝えできないのが本当に残念ですが・・・

 

2020年12月13日

歳寒三友

12月、そして2020年も残すところあとわずかとなりました。

皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、12月25日のクリスマスの日に終了予定だったオンライン企画展【Thankyou_5000】は

ご好評につき、会期を延長してこのまま来年1月19日までの開催とさせていただくことにいたしました。

12月1日からスタートし、1月19日がちょうど50日目に当たるのです。

 

また、当初、本日12月26日から再開予定だった【季節のうつわ】は予定通り本日から冬バージョンでスタート、

商品を随時追加更新して参ります。

 

【Thankyou_5000】【季節のうつわ】と合わせて、もうひとつ【歳寒三友】も開催中です。

歳寒三友「さいかんのさんゆう」と読みます。平たく言えば、松竹梅のことです。

中国のこの思想は、日本には平安時代にもたらされたと言われています。

宋時代に好まれた画題のひとつであり、厳しい状況でも節度を守り清廉潔白に生きるという文人の理想を表しているのです。

寒くとも色あせない松。しなやかにしなる竹。百花に先駆けほころぶ梅。

寒い冬の季節に友とすべき三つの植物として、文人の思いは松竹梅に託されたのでした。

歳寒三友という語は、孔子の論語に登場する「歳寒」「三友」に由来しています。

 

「子曰歳寒然後知松柏之後凋也」

(子曰く、歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る。)

寒い季節になってはじめて、松や柏が枯れずに残っていることがわかる。

(同様に人間(君子)も(平穏な時は分からないが、)いざ困難に遭遇した時に本性(節操)が分かるものだ。)

 

「孔子曰、益者三友、損者三友。友直、友諒、友多聞、益矣。友便辟、友善柔、友便佞、損矣」

(孔子曰く、益者三友、損者三友。直を友とし、諒を友とし、多聞を友とするは益なり。便辟(べんぺき)を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。)

ためになる友(益友)には三通りある。 ためにならない友(損友)にも三通りある。

正直な友、誠実な友、博識な友は益友だ。ご機嫌取りな友、媚びへつらう友、口先だけの友は損友だ。

(有益な友は実直で自分の気持ちをはっきり示し、時に相手の誤りを正してくれる。一方、付き合って損をする友はこちらに調子を合わせてくるだけで自分の意志を示さない。) 

 

日本におけるおめでたい象徴としての「松竹梅」。中国における文人の理想の生き方「歳寒三友」。

現在私たちはこのようなたいへんな困難に直面していますが、ふと立ち止まって考えてみたいテーマのようにも思われました。

松・竹・梅、また組み合わされて登場する品々をご紹介いたします。

お時間がございましたらご覧いただければ幸いです。

 

 

 

2020年12月26日

三寒四温

 

ぽかぽか陽気に誘われて、ドライブに出かけました。

気温は18℃。雪が一面に広がっている光景を見るというのはなんだか不思議な感覚でした。

真っ白な立山連峰が青空を背景にひときわその雄大な姿を際立たせています。

 

 

 

一昨日の2月20日、富山でもようやく春一番が吹きました。

 

今年は年明け早々から大雪に見舞われ、35年ぶりと言われる豪雪に。

北陸自動車道では大規模な立往生が発生しました。

私が富山に戻って約20年弱になりますが、自衛隊が出動するという事態は記憶にないのです・・・

富山市内は一般道さえも通行止めとなり、外出しても目的地にたどり着くことさえできずにやむなく引き返してきた日も。

ようやく雪が止み、少し解けたとほっとして出かけてみると、道路上のいたるところでスタックが発生。

(スタックというのは雪やぬかるみにタイヤがはまってしまい、アクセルを踏んでも空回りして前にも後ろにも進まなくなる現象です。)

渋滞がいたるところで発生、物流にも支障が生じ、スーパーやコンビニでも品薄状態が続きました。

「災害級」と呼んだ方たちもいらっしゃいました。

近年各地で起こっている災害のことを思えば、全く比べものにもならないのですが・・・

雪国であったはずの地に暮らす私たちがいかに雪に弱くなってしまったかを痛感しましたし

震災によってそれまでの日常を失われた方たちの状況が、ほんの少しでも身に染みて感じられたような気がしています。

これを機に防災への意識の高まりにもつながっていくことでしょう。

令和3年豪雪が私たちにとってよい教訓となりますように。

 

 

上の画像は、近所の交差点で撮影したものなのですが、違和感を覚えられる方いらっしゃいますか?

富山県内の信号機は縦型なんです!

信号機上に雪が積もる面積を少しでも小さくしようという意図があります。

昭和56年(1981)の豪雪、いわゆる「56豪雪」を機に、横型から縦型に変わったのだそうです。

富山県内では横型を見つける方が難しいほど、ほぼ全て縦型といっても過言ではありません。

(もしかしたら100%かもしれません)

富山だけではなく、雪の多い日本海側では福井県、新潟県でも採用されているとのことです。

 

2021年02月22日

越中一千石地主の梅園

 

うれしいことに、先日、またひとつ富山の絶景を見つけました。

 

 

豪農の館、内山邸。

内山家は戦国時代から450年間続いている家柄で、神通川が氾濫する原野で新田開発を進め、大地主となりました。

越中一千石地主と呼ばれた豪農です。

その邸宅が昭和52年に富山県に譲渡され、平成10年には国登録有形文化財に。

富山県民会館分館として、富山市内を走っていると大きな標識も出ているのですが・・・

ここ富山市で人生の大半を過ごしている私も、ずっと気になっていたものの、今まで一度も訪れたことがなかったのです。

 

富山を代表する一級河川・神通川の西、国道8号線のすぐ南。田んぼの広がるエリアに内山邸はあります。

標識に従って車で向かうと意外と簡単にたどり着くことができました。

内山邸の表門のすぐ向かいには駐車場があり、約40台駐車できるのですが、到着してみると満車状態。

けっこう人気のあるスポットなのだと初めて知りました。

 

 

今回訪れたいちばんの目的は梅園で、越中(富山)を代表する梅の名所として知られています。

約60本と言われる梅園では、紅梅、白梅、さまざまな品種の梅が見られます。

ほんのり漂う梅の香を楽しみました。

 

そして・・・来てみて初めて知ったのですが、この梅園の最大の見どころは、

なんといっても、残雪の立山連峰の雄大なパノラマが一望できるということです!

 

 

青空の広がる1日でしたが、敷地内にはまだ積雪が残り、ひんやりとした空気。

梅の花もまだ咲き始めで、満開まではもう少し時間がかかりそうです。

満開になった頃、また訪れたいなと思っています。

 

ちなみに、内山邸は2018年に公開された岡田准一さん主演の映画『散り椿』のロケ地にもなりました。

もしかしたら映画を見てご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

2021年03月06日

トイレの神様

 

「トイレの神様」と聞けば、シンガーソングライターの植村花菜さんを思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。

植村さんは曲のヒットを祈願して、トイレの神様を祀る寺院に絵馬を奉納されたと聞いています。

そのトイレの神様というのが「烏瑟沙摩(うすさま)明王」。

富山県内には、現在する最古にして最大級と言われる烏瑟沙摩明王が。

 

 

 

高さ約120cm。鎌倉時代の作です。

富山県高岡市の瑞龍寺(ずいりゅうじ)の法堂(はっとう)般若の間に安置されています。

(上記画像は同寺リーフレットより。写真撮影はできませんでした。)

 

瑞龍寺は、曹洞宗の仏教寺院です。加賀前田家二代当主の前田利長の菩提寺として知られています。

開基は加賀前田家三代・前田利常。

江戸時代初期(前期)の禅宗様式の伽藍配置が特徴です。

山門・仏殿・法堂が国宝に、また総門・禅堂・大庫裏・回廊・大茶堂は重要文化財の指定を受けています。

 

 

正面の総門(重文)は正保年間の建造物。くぐるとまず視界に入ってくるのが山門(国宝)です。

建立は正保二年(1645)ですが万治年間に建て直しがあり、延享三年(1746)火災により焼失。

現在の山門は文政三年(1820)のものです。

左右には金剛力士像。拝観はできませんでしたが楼上には釈迦如来と十六羅漢が祀られています。

 

 

法堂(国宝)側から見た仏殿(国宝)。その奥が山門(国宝)です。

この仏殿に本尊が祀られています。

ちなみに瑞龍寺の本尊は、烏瑟沙摩明王ではありません。

実は釈迦如来。唐仏の釈迦三尊像(明時代)がこの仏殿に安置されているのです。

華工すなわち中国人仏師によるもので、中国または日本国内で制作された像で、加賀前田家から寄進されました。

瑞龍寺は近世を通じて前田家の手厚い保護を受け、寺領300石を有したといいます。

 

明治期に入り廃仏毀釈の波が押し寄せました。前田家の庇護が受けられなくなった瑞龍寺は困窮の時代に。

復興に取り組んだ瑞龍寺は、明王像を布教の中心のひとつに据えたのでした。

昭和60年(1985)に始まった「昭和・平成の大修理」は約10年の歳月が費やされます。

この修理に伴い、明王像は法堂に祀られるようになりました。

そして平成9年(1997)国宝に指定されたのです。

 

富山県では唯一の国宝。

2014年の役所広司さん主演の映画『蜩ノ記(ひぐらしのき)』のロケ地にもなりました。

お立ち寄りの際にはぜひ訪れていただきたい、おすすめの場所です。

 

 

燃え盛る炎でこの世の不浄なものすべてを焼き尽くす烏枢沙摩(うすさま)明王。

ゆえに 密教や禅宗の寺院では、便所に祀られることが多いのです。

瑞龍寺では現在、回廊の一角に(高岡銅器でしょうか?)大きな明王像が据えられています。

こちらは撮影可。

ちなみに、駐車場から総門までの途中に受付(券売所)があるのですが、

受付からすぐのお手洗いの入口にもやや小ぶりな明王像があります。

ぜひチェックしてみて下さい。

 

2021年03月17日

うちに こんなの あったら

 

雨の金沢。

兼六園周辺の「文化の森」に、またひとつ繰り返し訪れたい場所が増えました。

昨年オープンした国立工芸館。

現在「うちに こんなの あったら 展」が開催されています。 

 

ルネ・ラリックのジュエリー 

ルーシー・リーのボタン

 

 

ルーシー・リーと黒田泰蔵

 

竹橋にあった頃から、何度か訪れていた東京国立近代美術館工芸館。

優れた品々を間近でゆっくりと鑑賞することができるのですから、北陸に住む私たちにとっては本当に喜ばしいことです。

感染予防対策で現在のところ定員制・予約制となっており、来館者数はさほど多くないとは予想していたものの本当にまばらでした。

しかも観光の方よりは専門の方といいましょうか、雰囲気がデザイナーのような方たちとすれ違う率が高かったように感じました。

驚いたことに、館内では一部を除いてほぼ全ての作品が撮影可能なのです。

プロダクトデザイナーの方でしょうか、特定のコーナーに張り付いてひたすら撮影されている方もいらっしゃいましたから。

工芸家が多く集うこの地に移転してきたのは、工芸家あるいは人・文化を育てるという点でも意義深いことですね。

 

黒田辰秋の長椅子。木彫「葉」(須田悦弘)とのコラボレーション

 

 

 

どういうわけか、私の中では東京国立近代美術館工芸館といえば富本憲吉の印象がずっと強かったのです。

今回の企画展でも館内の一角を富本作品が並んでいました。

昭和30年(1955)色絵磁器の人間国宝(重要無形文化財保持者)としてはじめて認定を受けます。

色絵磁器の研究のため、九谷にも滞在していましたし、石川県(北陸)に工芸館がやってきた一因かもしれません。

 

 

 

こちらは常設の「松田権六の仕事場」

「漆聖」と称えられる松田権六は金沢が生んだ「蒔絵」の名匠。

富本憲吉と同じく、昭和30年(1955)に最初の人間国宝(蒔絵)として認定されました。

 

この国立工芸館は、明治期の旧陸軍施設として知られる明治期の洋風建築です。

この文化の森周辺には、金沢の明治・大正にふれるレトロな建築が数多く保存されています。

今回のブログの最初の画像は旧陸軍の兵器庫。

現在はいしかわ赤レンガミュージアム(石川県歴史博物館、加賀本多博物館)となっています。

建築といえば、谷口吉生氏設計の鈴木大拙館がおすすめです。

金沢21世紀美術館(妹島和世+西沢立衛/SANAA)も見逃せません。

文化の森は美術館や文化施設が密集し、ハシゴするだけでもまる一日いや数日楽しめるエリアなのです。

 

 

うちに こんなの あったら 展、4月15日(木)までの開催です。

 

2021年03月21日

Welcome to Toyama, Maestro!

 

先週末のこと。

世界の注目を集める若手マエストロ、アンドレア・バッティストーニ(Andrea Battistoni)富山に見参!

富山ではなかなかない機会、これは聴きに行かない訳にはいきません。 

 

会場は富山市芸術文化ホール。通称「オーバード・ホール」です。

富山駅(北口)を出るとすぐ目の前にあります。

 

ガラス窓の向こうに見えるのが富山駅(北口)です。

 

パンフレットの表紙は、マエストロの右手のデザイン。かわいくてかっこいい手です。

 

気鋭の若きマエストロの指揮はダイナミックでエネルギッシュ、生でその姿を眺めているだけでも迫力がありました。

天才と呼ばれる所以は何だろうというのが一つの関心事でしたが、

楽団員とのコミュニケーションをとても大切にしている様子がうかがえて、すごく印象的でした。

 

プログラム

・ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲

・プッチーニ:歌劇「マノン・レスコー」間奏曲

・ロッシーニ:歌劇「ウィリアム・テル」序曲

・チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 作品64

・ポンキエルリ:歌劇「ジョコンダ」より時の踊りフィナーレ(アンコール)

 

 

ところで・・・先月ワルシャワを舞台に盛り上がった第18回ショパン国際ピアノコンクール。

その入賞者によるガラ・コンサートが、年が明けた1月に富山にやって来るそうです!

会場は同じくオーバード・ホール。

残念ながら富山にもゆかりのある反田恭平さんはいらっしゃらないようです。

でも小林愛実さんがいらっしゃいます!

 

2021年11月09日

富山スカイバス

 

赤いダブルデッカー。

中学1年生のとき、英語の教科書に載っていたロンドンの2階建てバスを見て憧れたものです。

さて、富山市内に赤い2階建てバスが現れました。

その名も「富山スカイバス」。富山駅前発着で富山市内のスポットを巡ります。

 

暦の上では冬となり、今日もこちらは冷たい雨の降る一日でした。

約1か月前はまだ気温が高くて半袖姿でした。信じられませんね。

その日もまさに菊晴れ。

快晴で、真っ青な秋空が広がる暑い日、このスカイバスを体験してきました。

オープンカーの2階に乗り込みます。

 

見慣れた富山市内の風景、しかし、自分のいる高さが違うとこんなに印象が変わるものかと、本当に新鮮に感じました。

期間限定の運行で、残念ながら今シーズンは10月いっぱいで終わってしまったのですが、また乗車する機会が楽しみです。

ちょっとした富山観光気分を味わうことのできるよい企画だと思いました。

将来富山にいらっしゃる予定のある方には、ぜひおすすめしたいです。

 

さて・・・スカイバスからの風景を写真に収めてきました。

富山市内のごく一部ですが、こんな町だと知っていただければ幸いです。

 

 

富山駅(南口)を出発して、まず左前方に見えてくるのが、富山市庁舎です。

市制100周年を記念して着工され、平成4年(1992)に完成。日本設計による設計です。

最上階の展望塔は入場無料。富山市街が一望できるほか、晴れた日には立山連峰も見渡すことができます。

 

 

その向かいが、富山県民会館。平成27年(2015)リニューアルオープン。

1階には「D&DEPARTMENT TOYAMA」が入っています。

デザイン的視点からセレクトされた富山アイテム、眺めているだけでも楽しいものです。

 

 

その並びには、富山城。

かつては佐々成正の居城で、江戸時代には加賀前田家の分家である越中前田家の居城となりました。

被災を経て、明治4年(1871)の廃藩置県により廃城。

現在の天守閣は戦後に建てられた模擬天守です。

 

 

富山市の新たなランドマーク、富山市ガラス美術館。設計は隈研吾氏。

ところでお気付きでしょうか、富山市内の信号機はほぼ100%縦型なのです。

 

 

車道から見上げたガラス美術館。歩道から見上げるのとまた異なる印象です。

6階は常設のグラス・アート・ガーデン。

デイル・チフーリ(Dale Chihuly)によるインスタレーションはぜひご覧いただきたいです。

 

 

富山市中心部。富山市唯一の百貨店、富山大和。

ガラス張りの空間は、グランドプラザの愛称で親しまれる全天候型の広場です。

市内の一等地ですが、(建物を建てずに)あえて「無」の空間となっています。

人が集まり人の流れが生まれるという考え方を以前聞いて、なるほど、と思ったことがあります。

ヨーロッパの広場(の役割)がモデルとなっているということなのですが。

 

 

富山市は路面電車が走る街です。

市内を流れる神通川(じんずうがわ)を渡る手前の一コマ。

路面電車がすれ違おうとしています。

画面奥に見えるのが、通称「呉羽山(くれはやま)」です。

 

 

富山県水墨美術館。

水墨画をテーマとした美術館ですが、さまざまな企画展(巡回展)も開催されます。

富山県に国宝・重文級の作品(刀剣を含む)がやってくる場合、大抵こちらに展示されます。

展示スペース自体はそれほど広くありません。

が、見事な庭園が広がり、ぜひおすすめです。

 

 

神通川の西岸から見渡す富山市街。

遠方にそびえるのが立山連峰です。

 

 

通称「環水公園(かんすいこうえん)」は人々の憩いの場。

富山駅からも徒歩圏内です。

運河の両岸に建つ双子の展望塔の間に赤い糸がご覧いただけますでしょうか?

大きな糸電話なのです。愛の告白スポットとして有名。

 

 

2017年にオープンした富山県美術館。

ここから眺める立山連峰もまた見事なのです。

旧・富山県立近代美術館の蔵品がすべてこちらに来ています。

富山県の国内外の近現代美術のコレクションはこちらでどうぞ。

環水公園向かいにあって、こちらも富山駅から徒歩圏内です。

 

 

スカイバスは富山駅(北口)まで戻ってきました。もうすぐゴールです。

「CENTRAM」文字入りの黒い車両のトラムはセントラムの愛称で親しまれる最新型の車両。

東西に広がる富山駅の構内を通過して、富山市の南北を結んでいるのです。

向かって左に見えるのが富山駅。

右は(先日ご紹介した)「オーバード・ホール」です。

 

 

富山は江戸時代からのくすりの街。

医薬品の会社も県内に多数あるのですが、全国の皆さんにも馴染みのある薬といえば・・・

正露丸も富山発のくすりです。ムヒもそうですね。

正露丸の会社キョクトウは、富山駅すぐそば。

周辺に正露丸の香りが漂っていることに、この日初めて気付きました(笑)

 

 

もうすぐゴール(富山駅南口)です。

また色の異なるトラムとすれ違いました。 

 

 

JR富山駅に到着。

駅舎2階、ガラスの向こうには北陸新幹線のホームがあります。

 

どうもおつかれさまでした。

約40分間のバス旅行、800円という料金もかなりリーズナブルだと感じました。

季節限定のようですので、事前にご確認いただき、ぜひ富山観光のひとつとして体験いただければと思います。

県外の方ばかりでなく、県内の方もとても楽しいと思います。

正直、私はすごくハマってしまいました(笑)

 

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました!

 

2021年11月12日

目利きのすすめ

 

 

2022年、寅年。

皆様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

このウェブサイトが出来上がったとほぼ同時に、このブログも開始しているのです。

さかのぼってみると、2018年12月17日。

4年目に入りました。今年最初のブログになります。

 

さて・・・

ウェブサイト立ち上げの後、間もなくインスタグラムも始めました。

ということで私はインスタ4年生なのですが、皆様の投稿を拝見しながら、学ばせていただいています。

ご自身のライフスタイルに上手に取り入れていらっしゃる方が本当にたくさんいらっしゃるのです。

また、常々お客様と接する機会の中で、本当にすごいと感じることがよくあります。

 

 

以前、こんなことがありました。

5枚入荷した同じ図柄の古伊万里の染付の皿。

完品もあれば、貫入の多いもの、欠けたもの、完全に割れたもの、と状態はさまざま。

あるお客様は「これが良い」と真っ二つに割れたものを選ばれたのです。

 

数か月経ったある日のこと。

そのお客様から、お求めいただいたその皿を見せていただく機会がありました。

すばらしく見事な金繕いで、見違えるほどの美しさでした。

お尋ねすると、繕いをされる方をご自身で探して繕いを依頼されたのだそうです。

憚られましたが敢えてその代金をうかがうと、なんと〇万円!?

なんと!同じ図柄の無傷完品の皿より、繕いの料金の方が高額ではありませんか!

どうしてあのとき、完品をお選びにならなかったのですか? 

私の問いに対して、お客様はこうお答えになったのです。

これがいちばん図も色もよかったからです、と。

 

脱帽でした。このお客様は「目利き」だと思いました。

私よりも年齢も若く、古美術や骨董の知識もおそらくはそれほどお持ちではないようにお見かけしました。

が、品物への愛情や接し方は年齢や知識量で測られるものではありません。

目の前にある品物と正面から向き合い、枝葉末節にとらわれていないあたり、私も見習わねばと痛感した瞬間でした。

そして、そのとき心がとても温かくなったのをよく覚えています。

 

昨秋に新たにオンラインショップ【キズトツクロイ】をスタートさせました。

https://bandr.base.shop/

実は、この出来事も【キズトツクロイ】開始に至るきっかけだったのです。

補足となりますが、キズモノを選ぶこと、買うこと、また安価で入手することが必ずしも目利きだとは思いません。

また高価な繕いを施すことが必ずしも品物への愛情、愛着とは限らないように思います。

品物の魅力(本質)を捉える、(そして必要に応じてそれをさらに引き立たせる)

シンプルなことですが、とても素敵なことですね。

 

何か一石を投じるようなことができればと願いながら、少しずつ、品物のご紹介を進めています。

投稿を通じて私自身、考えを整理することに繋がっているのではと感じているところです。

本年もお付き合いいただけましたら幸いです。

 

 

 

 

2022年01月10日

冬の華

 

ある冬晴れの日。

以前から一度うかがってみたかった、雪の科学館を訪れてきました。 

石川県加賀市片山津。

この地が生んだ偉大な科学者、中谷宇吉郎(なかや・うきちろう)博士。

その功績を称え、その研究の成果や人柄を紹介するミュージアムです。

柴山潟(しばやまがた)のほとりに立地。湖の向こうには雄大な白山を望みます。

設計は世界的な建築家、磯崎新(いそざき・あらた)氏です。

 

入り口は2階にあります。

 

入館してまず目を奪われたのが、エントランスホールの天井でした。

 

六角形が連なるガラス張りの天井は、雪の結晶をイメージされたものでしょう。

明るい陽の光が差し込みます。

窓の上に広がる青空が六角形に切り取られたかのような、不思議な感覚を覚えました。

 

このミュージアム、中谷宇吉郎という科学者あるいは人物そのものに関心のある方は勿論なのですが・・・

子どもから大人まで(特に雪や自然、あるいは科学に興味のある方であればなお)楽しいところだと素直に感じました。

そのひとつの楽しみ方が「実験」です。

 

上の画像は、チンダル像。

氷が解ける際に生じる美しい模様にご注目下さい。

雪の結晶にも似たこの模様、自然のものだなんて本当に信じられないですね。

 

 

1階で体験できる実験のもうひとつが、氷のペンダントの作成です。

雪の結晶をイメージした、氷でできた透き通ったペンダント。

10分ほどすると解けてしまいますが、青空にかざすととても美しいのです。

きっとこの、解けてなくなってしまう、はかなさが私たち日本人の美意識にも通じているのでしょうね。

 

 

ガラス張りの建物は、ティールーム「冬の華」

湖(柴山潟)の向こうにそびえるのが白山連峰です。

手前の大小の岩や石は、グリーンランドから運ばれてきたのだとか。

中谷博士は晩年、グリーンランドでの研究活動に没頭しました。

 

ところで・・・

中谷博士は7歳のとき、九谷焼の名工であった浅井一毫(あさい・いちもう)に預けられるのです。

陶磁器への愛着や見識もこの頃から養われたものでしょう。

館内には中谷博士による陶芸作品や書も展示されていて、その人柄が偲ばれる思いがしました。

 

2022年02月17日