Blog

ブログ始めました

 

 

はじめまして。

"Matsuyama" 古美術 松山です。

今月、ホームページを開設しました。

掲載する品物を少しずつ増やしながら、

また、ホームページの内容も

少しずつ充実させながら

皆さまに楽しんでいただければと考えています。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、12月に入り、

富山でも雪が降り始めています。

今日の天気は雨でした。

雨の合間にふと空を見上げると、

なんと立派な、あざやかな虹が!

さらにその外側に、もうひとつの虹が!

二重の虹「ダブルレインボー」です。

何かよいことがありそうな、

そんな期待を胸にブログを始めました。

重ねてよろしくお願いいたします。

 

2018年12月17日

白磁の皿

 

先日、仕入れのために金沢まで行ってきました。

 

市内を歩くと笑顔で旅を満喫しておられる観光客の方々と多くすれ違いました。

皆さん、とても楽しそうです。

年齢層も幅広く、思い思いの旅を楽しんでおられる様子…

長い行列を作り、何か美味しそうなものを持つ姿も見られます。

北陸新幹線が開通してから、本当に金沢は賑わっています。

 

 

 

自宅に戻り一日を振り返りながらお茶を頂くのは、楽しみの一つです。

お供は、マヌカハニーキャンディ。

お店の方によると殺菌作用の効果が高く、風邪予防に最適なのだとか。

ペースト状のものはひと手間必要ですが、キャンディなら手軽に頂けます。

非常に濃厚で、美味しいです。

 

 

ところでキャンディの皿は、瀬戸の白磁です。

戦前頃のもので、骨董とまではいきませんが、それでも年代ものです。

現代の食器とも相性が良く、重宝しています。

 

 

2018年12月19日

あけましておめでとうございます

 

謹んで新春のご祝詞を申し上げます。

皆さまにとって、明るく幸せな一年となりますように。

 



室町時代の丹波の壺の佳品を手に入れましたので、

お正月らしくにぎやかに花を活けてみました。

グリーンの自然釉が全面にかかって見どころが豊富で、

大きさといい、形といい、コンディションといい、

すべて兼ね備えた魅力的な大壺です。

それ自体が存在感のある品なのですが

花を活ければ今度は引き立て役となるのですから見事です。

 

さて、私がまだこの世界に入門する前の学生時代、

好奇心から古美術店を見学して回っていた頃のことです。

東京・日本橋のある有名な古美術店に飛び込んだ私は、

(今から思い返せばとても畏れ多いことなのですが…)

親切なお店の方に案内され、お店の奥へと通していただきました。

そして私の目の前に現れたのは、大きな丹波の壺だったのです。

後に丹波の図録を開き、それが美術館級の品であったと知ることになるのですが

若い私は大きなガラスケースの中の高級そうなその壺をただ眺めるばかりでした。

 

あのとき見せていただいた丹波の壺とは比べようもありませんが

一度は優品を扱ってみたい、そんな憧れが今の私の原動力につながっています。

今一度、初心に返って、感動と感謝の気持ちを忘れずに

前に進んでいきたいと思っています。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 お買い上げありがとうございました

 

2019年01月01日

麦わらの鉢

 

金沢で出会い、一目惚れして連れ帰ってきました。

家に戻るとさっそく桐箱を開けて、棚の上に置いて、改めて眺めてみる私…

よかった、間違いなかった!

時間がたって少し冷静さを取り戻しても、変わらず魅力的に映る品でした。

 

 

 

それにしても、「麦わら」は奥が深いです。

シンプルな形、シンプルなデザイン。そのシンプルさがキーワードなのですが

同じ時代の瀬戸の麦わらでも、線の太さや勢い、バランス…

ひとつひとつ表情があって、面白いです。

この品は、これまで好きで扱ってきた麦わらの中でもトップクラス。

描線は力強く緊張感があり、心地よいリズム感があり、

それでいてやさしさと温かさを兼ね備えています。

 

数年前のこと、

富山出身の映画監督、本木克英さんにお話をうかがったことがあります。

早稲田大学を経て松竹に入社、その下積み時代に

勅使河原宏監督から指導を受けられたそうです。

映画監督にも黒澤明監督を筆頭に

古美術に造形が深い方々がいらっしゃいますが

勅使河原監督もその一人でした。

李朝の白磁の壺を出してこられて

「この白がわかるか!」「この白が出せるか!」

叱咤の繰り返しだったのだとか。

勅使河原監督は繊細な感覚を持ち合わせていらっしゃったのでしょうね。

 

骨董にはたしかに知識も必要です。

しかしながら、繊細な感覚や素直な目を大切に、

できればいつも持ち合わせていたいものです。

 お買い上げありがとうございました

 

2019年01月04日

美術館詣で

 

石川県立美術館に行ってきました。

この美術館のある「本多の森」は、兼六園のほど近く。

加賀藩の筆頭家老であった本多家の武家屋敷が軒を連ねていました。

一帯には、数々の美術館や文化施設が点在しています。

もうすぐこの地に東京国立近代美術館工芸館が移転のため、やってきます。

レトロでモダンな2つの建築物が移築され、さらには完全復元されるのだとか。

その建築を見るのも、今から心待ちにしています。

 

 

行けば必ず立ち寄るのが第1展示室。

この等身大の陶製の雉は、江戸時代の名工、野々村仁清の代表作。国宝です。

(※館内で唯一、この展示室内は写真撮影OKなのです!)

加賀藩三代藩主、前田利常の頃に前田家にもたらされたとのことですが

なるほど、仁清の活躍した時期と利常の時代とがちょうど重なりますから信憑性があります。

 

加賀百万石の城下町であった金沢は、今日でも日本有数の文化都市です。

そしてこの金沢を象徴するのがこの作品だと言っても、過言ではないと思います。

 

 

同じガラスケースの中に、もう1羽の雉がいます。雌雄一対となっています。

前田家に伝わった雄雉も寄贈された品物なのですが

この雌雉もご厚志ある方からの寄贈品とのことです。

 

 

ところで、廣田不孤斎という方をご存知でしょうか。

私達からすれば神様のような、伝説の古美術商です。

その蒐集品は、東京国立博物館に寄贈されたのですが、

質、量ともに超一級のコレクションです。

一時、そのコレクションを郷里の富山に寄贈するという話が出ていた

という話を耳にしたことがあります。

もし富山に寄贈されていればなあ…とつくづく思うのです。

世界中から、そのコレクションを見に、人が集まってくる光景が想像されます。

 

2019年01月06日

「天正八」銘の花生

 

 

その姿からまず連想されるのは、砧青磁の算木の花生。

中国・南宋時代に龍泉窯で焼かれ、日本にももたらされました。

日本陶磁でも、算木花生といえば、桃山時代の茶陶で志野織部や備前(伊部)の作品が知られており、

いずれも、唐物(中国製)の影響を強く受けていると認識されているのです。

さて、この花生は陶製ではなく、鉄でできています。

4つある面のうち、2面に算木文様。 

そして1つの面には、興味深いことに「天正八●」の文字があります。

 

 

 

天正8年は、1580年。天正3年に長篠の戦い、天正10年に本能寺の変がありましたから

織田信長や羽柴秀吉が活躍した時代の真っ只中といえます。

信長や秀吉によって、茶の湯が政治に結び付けられるのですが、その中で唐物が大いに珍重されました。

志野織部や備前の算木花生もそうした背景の中で生まれてきたものでしょう。

素材こそ違えど、鉄でできたこの花生からも唐物へのあこがれが伺い知れるのです。

もっとも、銘があるからといってこの品が実際に天正8年に作られたものだとは限りません。

しかしながら、中世の香りを残す品物であることには間違いないでしょう。

 お買い上げありがとうございました

2019年01月12日

掌におさまる宇宙

 

 

真ん中のうずのような文様に心惹かれて手に取りました。

調べてみると、太陽の文様なのだそうです。なるほど、たしかに。

月をモチーフにした武蔵野の小皿は古九谷(吸坂)にあるけれど

太陽そのものを主題とした作品は日本にあったかな・・・と思い返します。

そういえば中国や朝鮮ではどうだったかな・・・

もしかしたら、南国タイの人々ならではの発想かもしれません。

 

手のひらにおさまるサイズの器に、いい具合に太陽があります。

なんだか不思議な気分です。

ひょっとして、太陽のまわりに見える何重もの円は、太陽系の惑星の軌道では?

人々の宇宙観があらわされているのでは?

などど想像がふくらみます・・・

 

 

2019年01月16日

ありがたいお言葉

 

今月から再スタートさせていただきましたヤフーオークション。

沢山の方にご参加いただきましたこと、恐縮至極にございます。

また、

「大変良いものを譲っていただき、ありがとうございます。」

といったお声もいただき、大変うれしく思い、励みとなりました。

本当に有難いお言葉です。

この場をお借りして、御礼申し上げます。

ありがとうございました。

皆さまに楽しんでいただけるように努めて参ります。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

2019年01月29日

切手とポストカード

ひと昔前の記念切手には、古美術にも関係のある素敵な図柄のものも多いような気がします。

国宝や文化財、著名な芸術家たちの作品を身近に感じてほしいという意図だと思います。

それにしても、オリジナルの作品の一部を切り取って

切手という画面に収めただけにもかかわらず、これだけの存在感。

惹き付ける魅力は何でしょう。

もちろん構図やデザインの妙もあると思います。

オリジナル作品の実物を目にすれば、その迫力に圧倒されるわけですが

小さな限られた空間に閉じ込められた作品の一部からでさえ伝わってくるのは

作品そのものが圧倒的なエネルギーを秘めており、

精神性や哲学といったものがあふれ出ているということなのでしょう。

きっとそれが本物の証なのだと思います。

 

ポストカードにも惹かれるものがあって、美術館に行くと、

その日いちばん印象的だった作品のポストカードを求めるようにしています。

それらのポストカードは、大切な方にお便りしたり

自分用に額装して飾って楽しむこともあります。

機会があれば大切な方にプレゼントすることもあります。

 

 

石川県立美術館に展示されている、古九谷の鳳凰の平鉢。

修行中から本で見てすごい品物があるものだと思っていましたが

修行が明け富山に戻ってから、実際にガラス越しに対峙したときは本当に感慨無量でした。

(今でも館に行けば手に入るのですが)10数年来手元にあったこのカードを

最近、ある方の古希のお祝いに(手書きの文章を添えて)差し上げる機会がありました。

品物の「力」を(頭でなく)肌で感じろ、古美術品は心の糧である、

と私に教えてくださった方です。

私にとっては、「初心忘るべからず」のポストカードです。

2019年02月07日

桃の節句

 

 

ふと気付けば今日で2月も終わりです。

我が家では毎年恒例になっている雛人形の飾りつけもなおざりで

せめてもと思い、内裏雛の双幅を掛けました。

これで今年も娘たちのために飾ることができたと安堵しました。

 

息子が学校から帰宅。

入ってくるなり「わーい!」と歓声を上げました。

よかった!こちら(親)が「わーい!」と言いたいくらいです。

娘たちの反応も楽しみです。帰宅を待ちます。

・・・あれ?

期待とは裏腹に、娘たちは素通り。

 

 

筆者の狩野探原は、江戸時代後期の絵師で、

狩野探幽(永徳の孫)の流れを組む鍜治橋狩野家の9世。

幕府の御用絵師(奥絵師)として、

江戸城の障壁画制作などに参加して活躍しました。

奥絵師は、旗本と同格で、将軍へのお目見えと帯刀が許された身分です。

探原は慶応2(1866)年に38才の若さでこの世を去りますので、

この内裏雛の図も若い頃の作品といえるでしょう。

そもそも残された作品数自体もそれほど多くないのかもしれません。

 

 

それにしても、およそ150年の時を経た今でも、

こんなに色鮮やかに残っているとは驚くべきことですね。

作品のことや筆者のこと、時代背景など、エピソードを交えながら話せば

これまで何気なく見ていたものにもっと興味をもってくれるかも、と期待は募ります。

 

まずは、今年も家族そろって桃の節句をお祝いできることに感謝したいと思います。

 

2019年02月28日

片身替りの蓋物

片身替りといえば、白洲正子さんが所蔵した片身替りの盆が思い浮かびます。

このモダンな赤と黒の片身替りのデザインの漆器は、いつ頃から現れたものなのでしょう、

ただ盆をはじめ、お椀や木皿とさまざまな器種にこのデザインが取り入れられており

骨董の世界に身をおいていると、ときどき見かけることがあります。

私もこのシンプルで斬新なデザインが好きで、機会があれば入手するようにしています。

こちらは、先日、富山県内で手に入れた品です。

赤と黒の片身替りの漆器なのですが、こんなに大型のタイプは見たことがないような気がします。

存在感のある蓋付きの鉢です。喰籠(食籠とも。じきろう)と呼ばれる菓子器と思われます。

箱も失われており製作年代を特定することは難しいのですが

おそらくは明治から大正にかけての品物ではないかと推測しています。

年月を経て漆も落ち着いた風合いとなっており、その質感は骨董ならではのものでしょう。

新品の艶やかさこそ失われているものの、時を経てもなお魅力を放っています。

状態は、傷みが生じ、必ずしも良好とはいえないのですが、使用に支障をきたすほどではありません。

古いものです。多少の汚れや傷みはつきものだと受け入れて

おおらかな気持ちで楽しむのが骨董とのつき合い方かなと思っています。

次に大切にして下さる方への橋渡しができれば、なおありがたいことです。

2019年03月09日

水仙と桜

 

先日、庭にあざやかな黄色い水仙が咲きました。

毎年、水仙が庭で花開かせるのを見て春の訪れを実感しています。

東京で桜が開花した様子がニュースで流れていましたが

富山ではまだ肌寒い日があり、桜はもう少し先だろうと思っていた矢先のことでした。

近所でほころぶ桜の花を見かけ、少し譲っていただくことができたのです。

今日はちょうど遠方から来客があり、少し春らしくお迎えできることを嬉しく思いました。

 

 

昨年12月にこのホームページをスタートさせましたが

ちょうど同時期にインスタグラムも始めました。

最近はほぼ毎日何か1点ご紹介しようと投稿を続けています。

(その一方でホームページの更新が滞り気味になってしまいましたが・・・)

少しずつフォローして下さる方たちの数も増えて、その反響の大きさを日々実感しています。

今日のお客様もインスタグラムを通じてつながることのできた方で、

そのご縁に感謝しているところです。

日々の少しづつの積み重ねがこうして実を結び、花を咲かせようとしています。

今日のご縁を励みに、また明日からがんばりたいと思います。

 

2019年03月24日

時のかけら

 

古美術の修行中、主人から常々言われていたのは、

「力を感じる」ことでした。

ただ、その方法を具体的に教わるわけではありません。

日々さまざまな品物と接する中で、自分なりにその感覚を

培っていくしかありませんでした。

 

ある日、兄弟子と私は主人に呼ばれました。

何か大きな失態でもあったかな、と飛んで主人のもとへ駆けつけると、

仏像の天衣の残欠が10ばかり並んでいました。

「この中から力のあるものを選べ」

突然そう聞かれ、兄弟子も私も、頭の中はフリーズです。

残欠を手に取ってみても、どれが正解なのか、全く見当もつきません。

首をかしげながら、それぞれ考えながら(半ば当てずっぽうで)一つずつ選びます。

・・・そして主人は一つの残欠を手に取って、私たちの目の前に黙って差し出しました。

「そもそも考えているようではあかん」

・・・

どんなことがあっても眠れるのが自慢であった私も、

その日のその出来事を思い返すと、なかなか寝付けませんでした。

 

「力を感じる」とは、どういうことか?

今でも私にとってのテーマであり、意識しながら品物と向き合うようにしています。

 

 

 

最近手に入れた、縄文土器のかけらです。

紅いベンガラが残り、数千年前の人々の色彩感覚がうかがえるようです。

透かしのある、みずみずしい曲線。

もとはどんな姿だったのだろうと想像をふくらませます。

手のひらにおさまるほどの断片ですが、大きなエネルギーを秘めているのを感じます。

 

 

 

こうした時のかけらを拾い集めて、皆様にご紹介しながら

自分自身も品物からのエネルギーを感じて、心の糧にできればと思っています。

 

 お買い上げありがとうございました。

 

2019年04月07日

江戸のキュビズム

 

 

 古い木箱の中に染付の渦模様が見えて、「あれ?」 

 ぐるぐる目が回りそうな渦の文様は、けっこう好きなものです。

 外側はどんな柄かな・・・(洒落た柄だといいな・・・)と思いながらひとつ手に取ってみると・・・⁉

 

 

 江戸後期の伊万里であることは間違いないのですが、なんとも斬新なデザイン。

 器面の分割の仕方もあまり見かけたことのない、前衛的な構図です。

 これは渦で・・・これは青海波で・・・

 描かれた文様をひとつひとつ読み解いていきます。どうやら海とか波に関係しているようです。

 じゃあ、これは何だろう?濃く塗りつぶされた枝のようなものが、どうも見当がつきません。

 縦に見たり。横に見たり。何度もひっくり返してみますが、謎は解けません。

 いったん考えるのをあきらめ、頭を冷やすことにしました。

 

 そして数時間後。

 

 

 

 !!!謎は、意外とあっさり解けました。答えは「波」でした。

 伊万里のうつわによく登場する波の文様を、上下に向かい合わせて並べていただけのことでした。

 濃いダミの部分は、その波同士の合い間を塗りつぶしただけにすぎません。

 

 1つのうつわをまるごと使って、波(海)を立体的に表現しているんですね。

 口縁内側も渦模様が描かれていますし、口縁自体が波打った形状をしています。

 器面内側の白磁の部分に飛び散る呉須も、波しぶきに見立てて意図的に散らされたとさえ思うほどです。

 その発想力には感服するばかりです。

 まるでキュビズム。ピカソやブラックによって20世紀初頭に創始されたことになっていますが

 日本でも、その一世紀も前にこんな発想を抱いた人がいるのだと知り、不思議な感動を覚えました。

 

 

 約20年前、私の修行が2年目に入った4月のちょうど今頃、

 仕入れのため、主人と兄弟子とで四国に車で行った時のことです。

 初めての淡路島。初めての四国。車窓からの景色は、私にとってまるで外国(南国)に来たかのようでした。

 圧巻は、鳴門の渦潮。大興奮したのを今でも覚えています。

 

 !!!このうつわ、鳴門の渦潮かもしれないですね!

   

2019年04月18日

紅のカーテン

 

庭のベニバナトキワマンサクが満開です。

毎年この時期になると、ピンクの花がひとつ、またひとつと増え

今年も今、ちょうどピークを迎えています。

枝いっぱいに鮮やかなピンクの小さな花が開き、小さな葉も赤紫色になります。

 

 

庭に植えたのは5年ほど前のことだったでしょうか。

背丈も大きくなり、細かった幹もずいぶんしっかりしてきました。

枝も伸びて花や葉の数も数えきれないくらいに。

紅のカーテンは年々、密になってきています。

2019年04月30日

『工藝』展、スタートしました

 

 古美術松山では、ヤフオク!にて、小さな企画展を開催しています。

 先日、『工藝』展が始まりました。

 どんな工芸品が並ぶの?とお思いになる方もいらっしゃるかもしれません。

 工藝といっても、雑誌の『工藝』で、柳宗悦らが中心となった民藝運動の機関誌となったものです。

 月刊で、昭和6年の創刊以来、(戦時を経て)昭和23年まで120冊が発行されました。

 今回の企画展では、そのおよそ一割にあたる13冊を紹介させていただいております。

 

 

 もう何年も前のことです。

 東京で、民藝関係の方から、これらの冊子をお譲りいただきました。

 民藝についてもっと知りたいと思ったのと、珍しい品々の写真が入っていたからです。

 もっとたくさんあったように思いますが、ぱらぱらと本をめくり、

 自分の関心のあるテーマを扱った号を選ばせていただきました。  

 装幀は毎号異なり、手織りの布や和紙、型紙染や漆絵など。

 また棟方志功や芹澤銈介というスーパースターたちが手掛ける小間絵。

 手仕事が感じられる魅力的な一冊一冊です。

 文章はやや難しく感じるものもありますが、

 写真や小間絵を見ているだけでも、民藝の世界に引き込まれていきます。

 調べてあとでわかったことですが、

 この『工藝』は、本そのものが工芸品と称されているのだそうです。

 

 ときどき書棚から出して眺めては楽しんできましたが

 良いものをもっと他の方にも触れていただき、その良さを感じていただきたいと思うようになり

 今回の出品に至りました。

 出品に際し、写真撮影もあって、私にとって読み返すよい機会となりました。

 改めて目を通すと、また数冊比較して読むことで新しい発見もあります。

 大切にして下さる方とのご縁があることを願っているところです。

 

2019年06月12日

収穫

 

梅雨空の合い間に、ブルーベリーの収穫です。

今年は豊作。

色といい、大きさといい、美味しそうな実がたくさん実っています。

大ぶりの山茶碗を手に、ひとつ、またひとつと摘んでいきましたが

あっという間に山盛りになりました。

うっすらグリーンの灰釉がかかった山茶碗に映えるブルーベリーのみずみずしい青藍色。

思った以上に相性がよいものでした。

 

 

収穫したブルーベリーを使って、自家製のジャムを作りました。

 

 

2019年06月14日

蒐集に就て

 

「時として蒐集家は、商人の推薦するものを賴つて蒐めることがある。

だがそれをやつてゐる間はろくな蒐集は出來ないと云ふことを明確に知つておく必要がある。

中で本屋等は比較的よい方である。

それは本を集める程の人は相當學問があつて商人より詳しく知つてゐる場合が多いのと、

書物には贋物が少ないからである。

だが同じ商人でも骨董屋になると信用の出來るのは寥々たるものである。

知らない人の前には學校の先生以上に講釋をまくし立て、功德を説くのを通則とする。

それが有力な商法だからである。

云ふことまんざら嘘ばかりではないが、賴りにならないこと夥しい。

買はせる爲には惡いものでも雄辯に讃美する。

骨董商は屢々不當な儲けをしておかないと商賣が成り立つてゆかない。

それでその忠言には不純な動機が大いに多い。

それより講釋される方が惡いのだと云つてもいゝ。

蒐集家は骨董商の言葉を賴る様な不見識ではいけない、眼がきく骨董商は一割もないものである。

眼がきけば商賣がしにくいかも知れぬ。

まして人格のある商人は一分あるかなしかである。

人格なんかよくては商賣にならぬかも知れぬ。

品物は當然蒐集家の方で指導していゝのである。

いゝ蒐集家は骨董商を引きずつてゆくだらう。

商人はそれが賣れさへすれば、一生懸命にあとからつきまとつてくるものである。

それが反對に商人に引きづられる様ではろくな蒐集は出來ない。

商人の忠言は忠言である場合が極めて少ないからである。

ものは商人に集めさせればそれでよいので、商人に自分が集めさゝれては駄目である。

いゝ蒐集はいつも骨董商の眼先より一時期先である。

自分の蒐集でなく商人の蒐集となる様な惨な結果に陥らない様に私は切に勸める」

 

 

『工藝』第25号で柳宗悦が蒐集について綴ったものです。

耳の痛い言葉ではありますが、戒めの言葉として言葉に刻みます。

早ければ明日、手元を離れてしまう『工藝』を、もう一度読み返しているところです。

 

 

 

2019年06月16日

造形と文様 縄文土器

小さな企画展【造形と文様 縄文土器】をヤフオク!にて開催中です。

ある個人の蒐集家が長い年月をかけてお蒐めになった縄文土器を

ご縁あって、お譲りいただくことができました。

日々の暮らしの中で道具として作られた縄文土器には、縄文人の美意識が宿っています。

土器の造形や文様、色彩から、その気配を感じていただく機会になれば幸いです。

 

 【造形と文様 縄文土器】はこちらからどうぞ。

 

以下、出品中の5点を簡単にご紹介させていただきます。

 

 

縄文中期の深鉢の残欠。

表面に塗られた丹(に)があざやかに残り、およそ5000年前の人々の色彩感覚が窺えます。

縄目の文様や刻まれた線の文様。立体のキャンパスに描かれた抽象絵画のようです。

 

 

手のひらにのる愛らしいサイズの小壺。

縄文晩期に東北地方で展開したもので、岩手県の貝塚の名前をとって大洞(おおぼら)式と呼ばれます。

私が学生の頃は亀ヶ岡式と習った記憶があります。

 

 

こちらも縄文晩期の大洞式ですが、高さが30cmを越える、大きめの壺になります。

表面全体に縄目文をほどこし、頸部は研磨され光沢を帯びています。

 

 

こちらも縄文晩期の大洞式。手のひらにのるサイズの小皿で、上の画像はその底面になります。

擦消(すりけし)と呼ばれる技法で文様をあらわし、縄目をつけています。

口縁には、突起状の装飾が連続してほどこされています。

うっすらですが朱彩が残り、ほんのり赤みを帯びています。

 

 

把手がある小壺。目のような穴が穿たれ、やや動きのある、生命を感じさせる造形です。

頸部には縄目文様がほどこされています。

胴のワンポイント、線刻の渦文も楽しいものです。

 

2019年06月27日

チャイコフスキー国際コンクール

ちょうど1か月前の6月8日、藤田真央さんのピアノリサイタルへ。

透明感のある美しい音色がとても印象的でした。

 

 

藤田さんはその後10日もしないうちに、

第16回チャイコフスキー国際コンクールに出場のため、ロシアへ。

日本からの出場者ということもありましたが、

ついこの前演奏を聴いた方ということもあって、応援にもつい熱が入ってしまいました。

約6時間時差のあるモスクワ時間に合わせて夜中起きているのはなかなか大変でしたが

インターネットでライブ配信されており、パソコンで見ることができたのは幸運でした。

リプレイでも演奏はほぼ全て見られるのですが演奏の前後の場面は編集でカットされ、

直前の表情や、直後の観客の反応などはリプレイではわからないのです。

 

藤田さんのファーストラウンド。

演奏が始まって間もなく、会場の空気感が変わったのがモニター越しにもわかりました。

藤田さんの演奏が、モスクワの聴衆を虜にした瞬間でした。

開会後初めてのスタンディングオベーションだったそうです。

音楽が国境を越えて人々を魅了する様子が窺えて、すばらしいと思いました。

 

藤田真央さん、堂々のピアノ部門2位。おめでとうございました!

 

(江戸時代の古伊万里の皿に描かれたピアノの図⁉)

 

 

ところで、バスケットボールの八村塁選手が華々しいデビュー戦を飾りました。

(馬場雄大選手とともに、私の母校の後輩にあたるのだそうです!)

若い方たちがどんどん世界へ飛び出し、大きな舞台で活躍するのは喜ばしいことですね。

今後のめざましい活躍を期待しましょう。

2019年07月08日

紫陽花

めずらしい紫陽花の花をいただきました。

 

見たことのない紫陽花です。本当にいろいろなものがあるのですね。

お話では、このような珍しい花ばかり、お好きで育てていた方がいらっしゃったそうです。

その方が亡くなって、遺志を継ぎ、花々を株ごと譲り受けて育てていらっしゃるのだとか。

 

伺ったお話を思い返していると、自分の仕事とも重なることに気が付きました。

大切にされてきた品物を、次の方へと引き継がせていただく橋渡しの役目。

出会いや喜び、感動を人から人へ。

 

自分にとっても心の励みとなるような、紫陽花との出会いでした。

 

2019年07月14日

掌上の古陶

 

たなごころ(掌)とは、手のひらのこと。

そのなんともよい響きは深く優しく、好きなことばのひとつで、

もう20年ほど前のことでしょうか、一冊の本『掌の美』(新潮社)に出会って以来、

自分でもしばしば用いるようになりました。

日本を代表する美術商・瀬津雅陶堂の当主、瀬津巌さんのとっておきのエピソード83話。

美しい写真とともに紹介される品々は、ただただ憧れるばかりです。

ぜひお薦めの一冊です。

 

 

 

さて、今週からヤフオクにて『掌上の古陶』を開催中しています。

その名の通り、手のひらにものるほどの愛らしい小さなサイズの古陶磁を集めました。

小品といえど時代の香りを今に伝える愛すべき品々です。

大切にしていただける方たちとのご縁を願っています。

 

 

 

2019年09月11日

仏手と古陶

 

仏教美術のものを蒐めている、という方のところに伺ってきました。

棚には愛らしい仏像や仏教工芸の小品が並び、その方の愛着ぶりがうかがわれる素敵なコレクションです。

日本のもの、特に室町時代以降のものが中心のように思われました。

その中に一点、異色を放つ存在に目が留まりました。

 

 

 

仏像の右手の残欠。やわらかな線につつまれたシルエットがなんとも優雅です。

細長い指や手の形は東南アジアの仏像のように感じました。

おだやかに前方へと突き出された前腕(一の腕)、

もとはどんな姿だったのだろうと気になります。

出自は不明でしたが、美しく、また調べてみたいという思いもあって、

お願いして譲っていただくことにしました。

 

さて、家に戻り、資料探しです。

おそらくは、タイか、カンボジアか・・・

そして大きなヒントは、やはり突き出された一の腕でした。

 

タイの「遊行仏」(ウォーキングブッダ)にたどり着たとき、これだ!と思いました。

仏像が歩く姿を見せる遊行仏は、タイのスコータイ王朝(13~15世紀)に生まれた様式と言われています。

昨年、カンボジアのアンコール遺跡でも、石に刻まれた遊行仏が見つかったそうで

今後そのルーツも解明されていくことになるのでしょう。

 

 

ところで、現在、ヤフオクにて小さな企画展【掌上の古陶】を開催中です。

2点、「スンコロク」の名で親しまれているタイの小壺もご紹介しています。

秀吉の時代には、中国人商人の手によって日本にもたらされていたとのことです。

スワンカロークの地名から「宋胡録」と漢字があてがわれました。

 

 

これらの小壺が焼かれたのはアユタヤ王朝(14~18世紀)の時代。

前述したスコータイ王朝の後に栄えたアユタヤ王朝は、

中国とインド、ヨーロッパの中間に位置する地の利を活かし、交易によって莫大な利益を生みます。

その富を背景に、クメールや中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの影響を受けながら

独自の華やかな文化を開花させていくのです。

これらの小壺は輸出用の香辛料の容器でしょうか。

手のひらにものる小さな小さな古陶、アユタヤ王朝の栄華を支えた脇役たちです。

 

2019年09月16日

茶碗と鉢

 

ヤフオクにて小さな企画展【茶碗と鉢】を開催中です。

今回のメインはなんといっても隅田川焼の都鳥の茶碗です。

2羽のほほえましい都鳥が描かれています。

江戸の楽焼ともいえる隅田川焼は、江戸時代後期の文政年間に百花園で焼かれ始めました。

隅田川中州の土を用いたといい、都鳥に主題した数々の作品があります。

この茶碗には高台内に「百花園」と印が押され、明治期のものだと分かります。

 

今回の企画展では、抹茶碗として生まれたものの他にも、

茶碗に見立てて楽しめるうつわもご紹介しています。

 

 

中国・景徳鎮製の火入(香炉)は、清朝、18世紀から19世紀にかけての嘉慶・道光年間の作品です。

火入⁉香炉⁉と思われるかもしれませんが

日本には「見立て」の文化があり、本来の用途から転じて別の用途に用いることがしばしばあります。

その「見立て」の概念は、千利休によって生み出されたもの。

利休は、中国・明時代初期の染付の香炉を、茶碗として用いました。

雲や楼閣が描かれていたそのタイプの茶碗(香炉)は、以来「雲堂手」として評価が高まりました。

桃山時代に焼かれ始める瀬戸黒の茶碗は利休好みと言われていますが

腰の張った筒形の茶碗は志野、織部でも焼かれ、また長次郎や光悦の作品にも多く見られます。

利休は半筒形の香炉の形をヒントに新しい時代の茶碗をデザインしたのかもしれません。

 

【茶碗と鉢】は、10月7日(月)21時台の終了予定です。

ぜひご覧いただき、ご参加いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年10月05日

柿右衛門の猪口

 

 

先代がお蒐めになったという古陶磁のコレクション。

積み重なった段ボールの数は、20~30箱ほどあったでしょうか。

無造作に新聞で包まれ段ボールに入れられた古いやきものの数々。

包んだ新聞の日付を見ると、昭和10年代、戦前の新聞でした。古いコレクションです。

磁器が中心で、伊万里や九谷、富山のやきものが多かったように思います。

中には古染付など明末以降の中国のやきものもありました。

古いコレクションを拝見する場合、思いがけず珍しい品に出会うことがあり、期待するものです。

 

上の画像は、その中のひとつ、延宝期の色絵柿右衛門の猪口です。

口に比べて底が小さな朝顔形とも呼ばれる器形で、美しいシルエット。

薄づくりでシャープな造形です。

箱から出てきたときは泥まみれ、あまりに生々しいのでモノクロ画像にしました(笑)

古いものですから実際に汚れていることが多いのですが、

ほこりや汚れも骨董のうちと言いますし、新品同様にピカピカにするのはためらわれるのですが

品物の本来の輝きを取り戻すために簡単な手入れをして、ある程度のよごれを落とすことがあります。

 

濁手とも呼ばれる、柿右衛門の柔らかく温かい肌。

汚れを拭うと、美しい乳白色が現れました。

オリジナルの色絵も美しく残っています。

 

見違えるほどに変身した柿右衛門の猪口、明日のインスタグラムに投稿いたします。

どうぞお楽しみに。

 

追記:

さっそく次に大切にして下さる方が見つかりました。

ありがとうございました。

 

2019年10月10日

モースの日本陶器コレクション

エドワード・S・モースをご存知でしょうか?

大森貝塚を発見したアメリカ人の動物学者、と聞けばお分かりの方もいらっしゃると思います。

「お雇い外国人」として請われて東京大学の初代動物学教授に就任し、自然科学の研究・調査を行いました。

モースの大森貝塚の発見によって日本の考古学の礎が築かれることにもなりました。

 

学者としての顔をもつモースは、一方で日本陶器の大コレクターであったことでも知られています。

貝塚で発見された、貝が付着した縄文土器片との出会いがきっかけだったそうですが

明治初期の官僚であり古美術学者でもあった蜷川式胤(にながわのりたね)から日本陶器について学び、

そこから興味の幅をどんどん広げていきました。

日本美術に造形の深いフェノロサやビゲローとも親交がありましたし、

大隈重信は所蔵した全陶器をモースに贈ったといいます。

収集のために来日中に各地を訪れましたが、

アメリカへの帰途の途中で立ち寄った東南アジアやヨーロッパでも収集を行いました。

そのコレクションには、今日ではほとんど知られていない廃窯になったやきものも多々含まれています。

約5000点というモースコレクションはボストン美術館に譲渡され、

モース自身は1901年にボストン美術館の日本陶器類部長に就任しました。

世界屈指の所蔵品を誇るボストン美術館、その日本美術収蔵のルーツがモースコレクションでした。

 

さて、現在ヤフオクにて小さな企画展【豆皿・小皿】を開催中ですが

モースによって紹介されたやきものも含まれています。

「霞晴山」(かせいざん)と押銘のあるもので、今回の企画展では、小皿5枚を紹介させていただきました。

モースは、江戸後期・寛政年間に江戸四谷で焼かれたものとつづっています。

ただ「洛東霞晴山」と銘のある作品も存在し、今日では京焼のひとつであろうと考えられています。

江戸か京か。いずれにせよ、みやこの粋を感じさせる小品です。

お時間ありましたらご覧下さい。10/14(月)21時台に終了予定です。

 

 

2019年10月13日

城下町・富山

 

2015年8月にオープンした富山市ガラス美術館。

建築家の隈研吾さん設計の、富山市の新しいランドマークです。

以前、この場所には、モダンな外観の富山大和デパートが建っており、

富山市一円を焼き尽くした1945年8月の富山大空襲でも焼け残った建物でした。

 

ところで、先日、美術館の学芸員の先生とお話する機会があり、興味深いことを伺いました。

大和デパートが解体された後、発掘調査が行われていたのですが

柿右衛門をはじめとする江戸時代の高級食器(の陶片)が数多く出てきたそうです。

江戸時代、富山城にほど近いその周囲には、豪商と呼ばれる大きな商人たちが暮らし

「町屋敷」と呼ばれていたといいます。

一方、もう少し富山城に近い地域には武士たちが住んでいたといわれています。

近年、富山市中心部の再開発とともに発掘調査も進められているのですが

発掘によって出てきたものを比べてみると、

商人の方が、武士より裕福な生活を送っていたことが窺えるのです。

 

富山町は越中における唯一の城下町。富山城は富山藩主・前田氏の居城でした。

富山城は室町時代の天文年間に神保氏によって築城されたといわれています。

北陸と飛騨を結ぶ交通の要所で、戦国時代には上杉謙信、織田信長、武田信玄が攻防を繰り広げます。

その後、佐々成政が入城。

神保氏の時代に形成された城下町や街道が整備されていきます。

さらにその後、慶長10(1605)年に前田利長が城下町の再整備を大々的に行いました。

富山市内に残る町名からは、そこに住んだ人々の暮らしや商工業の営みが窺えるのです。

(※現在なくなってしまった町名もあります。)

越前町、鍛冶町、木町、黒木町、御坊町、米屋町、材木町、桜木町、山王町、下金屋町、船頭町、

大工町、手伝町、鉄砲町、寺町、西四十物町、旅篭町、八人町、東四十物町、袋町、風呂屋町・・・

 

 

さて、現在ヤフオク!にて企画展【加賀・越中に伝世した古伊万里】を開催しています。

富山市内の旧家に伝わった興味深い有田焼もご紹介しています。

江戸時代の華やかな町人文化を今に伝える品々を、ぜひご覧下さい。

10/26(土)夜までの開催です。[21~22時 終了予定]

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/shozan8

 

 

2019年10月25日

柳宗悦の茶

富山城を臨む富山市佐藤美術館で開催中の特別展「柳宗悦の茶 日本民藝館名品選」を見学してきました。

展示室に入って、まず目に飛び込んできたのは、朝鮮の火鉢に掛けられた大きな大きな霰釜。

江戸時代のもので、みずみずしい生命感にあふれていて感銘を受けます。

そして朝鮮半島のものを中心に茶碗が並び、個性豊かな表情を見せていました。

ポスターやリーフレットに写っている大井戸茶碗「山伏」が今回のメインなのでしょう。

さらに個性豊かな表情をもつ品々が並び、輝いていました。

茶道具に生まれたものではないけれども、茶道具に見立てられた品々を通して

柳宗悦の視点がうかがえるものでした。

 

???

あれ、展示室の奥に家具(椅子)が並んでいるではありませんか。

昭和30年代の松本のスツール。

19世紀のイギリスのラダーバック・チェアやスピンドルバック・アームチェア。

もちろん、日本民藝館に収蔵されていて然りなのですが、

茶の展覧会なのに、なぜ?

 

柳宗悦は生前に2回、茶会を催したと聞いています。

日本民藝館で茶会を催すにせよ、茶会用の設備が整っているわけではありませんから、

民藝館の所蔵品でまかなったということなのです。

なるほど、この椅子たちは、茶会で用いられたということなのですね。

後でよくよく展示室内の解説を読んでみると、本展は

第一回民藝館茶会(1955)や新撰茶器特別展(1958)等を再構成したもの、

とのことでした。

既成の茶に囚われない柳宗悦の試み。百聞は一見に如かずです。

 

大阪民藝館で2009年に「茶と美-柳宗悦・茶を想う」

日本民藝館で2014年に「茶と美 -柳宗悦の茶ー」

柳宗悦と茶をテーマに、日本民藝館の所蔵品からその足跡をたどる試みは過去にも開催されています。

もしかしたら重複する内容なのかもしれませんが

もし機会がございましたら、ぜひおすすめの展覧会です。

12/1(日)までの開催です。

 

 

2019年11月06日

新年あけましておめでとうございます

2020年、子年。

皆さまにとって、明るく幸せな一年となりますように。 

 

昨年も新しいご縁がたくさんあり、本当にありがたい一年でした。

このご縁を大切に、精進いたします。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

毎年この時期、いただいた年賀状に私からお譲りした品物が載っているのを見ることがあり、

たいへんうれしい瞬間です。

最近では通販やヤフオクでのお取引も増えましたので

お相手がまだお会いしたことのない方であることも少なくありませんが

品物をお譲りできたときのお相手の表情を思い浮かべたり。

自分が品物を入手したときのエピソードが思い出されたり。

何より、新年のご挨拶にあたって、その品物をお使いいただけるというのは

とても誇らしいことだと感じています。

私が橋渡しさせていただいた品物を、インスタグラムに投稿される方もいらっしゃいます。

これも同じくたいへんうれしい瞬間です。

皆さまに喜んでいただける品物を探し求め、お納めできること。

骨董屋冥利に尽きます。

 

骨董屋の仕事は、実は人と人とを結びつけることだと考えています。

品物との出会いの喜びや感動を、時をも越えて、人から人へ。

その橋渡し役を担うべく、今年も奔走いたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

2020年01月05日

小さな企画展【17世紀の有田】開催中です

古美術松山では、昨年1月からほぼ毎週、小さな企画展を開催しています。

一昨年の2018年の冬にこのサイトを立ち上げ、インスタグラムも始めました。

日も浅いこのホームページではまだ集客力もなく、インスタグラムの宣伝も兼ねて、

集客力のあるヤフオク!の場をお借りしています。

一年間継続しましたところ、本当にたくさんの皆様にご覧いただき、またオークションにもご参加いただきました。

本当にありがとうございました。

今年も引き続き、楽しいもの、珍しいもの、興味深いもの・・・いろいろとご紹介していきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

今週から2020年の第1弾【17世紀の有田】を開催しています。

出品中の中から、興味深い1点をご紹介させていただきます。

 

初期伊万里の皿です。1640年代~50年代頃のものと思われます。

見込に描かれるのは東屋や舟のある山水風景。典型的な「見やすい」初期伊万里です。

お詳しい方なら「どこが興味深いの?(普通の初期伊万里でしょ)」と思われるかもしれません。

まず1点目。

裏面、高台内の銘にご注目いただきたいのです。何やら文字が書かれています。

 

大抵の場合、「大明」と楷書体で書かれているものなのですが

同じ「大明」でも、くずした字体になっていて、珍しいものです。

その脇には「大黒●」(3文字目は解読できませんでした)とあります。

 

そして、2点目。

表面の山水図の窓絵にご注目いただきたいのです。

 

花(牡丹)でしょうか?

山水図が一般的な画風なのに対して、この花らしき文様に私は違和感を覚え、気になっていました。

 

しばらく時間をおいて何度か繰り返し見ていると・・・

あれ?

 

人の横顔に見えませんか?ほほえむ女性のようです。

花弁と人の顔を重ねて描いた、だまし絵のようにも思えます。

このようなまぎらわしい描き方、ひょっとしたら隠れキリシタンの遺物なのでは、と直感しました。

 

この皿が焼かれたのは、1640~50年代。将軍徳川家光のもと、幕府によって鎖国が完成します。

キリスト教は禁止、弾圧されました。そのような時代背景の中で生まれてきた皿です。

ほほえむ女性の横顔は、聖母マリア・・・⁉

厳しい迫害の中、身を潜めながら信仰を守り伝えた信者たちの思いが伝わってくるかのようです。

 

 

2020年01月09日

国立工芸館

今日は、金沢へ。

久しぶりに石川県立美術館に伺ったら、となりに新たな建物が現れていました。

国立工芸館。

東京国立近代美術館工芸館が金沢に移転してきました。いよいよ今夏オープンします。

日本海側初の国立美術館なのだそうです。 

 

兼六園からほど近い、かつて本多の森と呼ばれたこの一帯は、加賀藩家老・本多家の武家屋敷が軒を連ねていたところです。

美術館・博物館はじめ多くの文化施設がこのエリアに固まっており、 東京でいうと上野の森(上野公園)のようなイメージでしょうか。

私がいちばん気に入っているのは鈴木大拙館。ぜひ一度訪れてみて下さい。おすすめの空間です。

 

石川県立美術館は、その優れたコレクションもさることながら、ミュージアムカフェも素敵です。

LE MUSSE DE H(ル ミュゼ ドゥ アッシュ)は、石川県七尾市出身のパティシエ・辻口博啓さんのプロデュース。

店内でスイーツもいただけるのですが、ぜひお試しいただきたいのは、「コンセプトG」

店内奥のモダンな茶室でいただく玉露のコースは格別です。こちらもぜひ。(事前予約がおすすめです。)

 

2020年01月16日

工芸とデザインの境目

「開化堂の茶筒はありませんか?」

と県外からお客様が訪ねていらっしゃいました。いつのことだったでしょうか。

このとき、私は開化堂のことを初めて知りました。

何も知らなかった私に、その方は丁寧に教えて下さいました。

開化堂は、京都の手作り茶筒の老舗です。明治8年(1875)創業。

私たちはお客様からずいぶんたくさんのことを学ばせていただいています。

 

ところで、約3年前になりますが

2016年秋から2017年にかけて、金沢21世紀美術館で「工芸とデザインの境目」という展覧会がありました。

某所で偶然見かけたそのリーフレットに、開化堂の茶筒の写真が載っていたのです。

なんだかとても関心が沸いて、展覧会に行ってみることにしました。

 

「工芸とデザインの境目」は、プロダクトデザイナーの深澤直人さんが監修された展覧会。

工芸やデザインという語は、私たちが普段から何気なく用いているものです。

それらをさまざまな切り口から見つめることで、工芸やデザインの本質に迫ろう、という意図を感じました。

 

後日、展覧会を紹介する記事を何かで読んだのですが、印象的だったのは秋元館長の言葉でした。

「一つの例だけど、工芸の汚れは愛着。デザインは汚いと感じるとこが違いかもね。」

 

傷ついたり汚れたりすると、劣化とみなされ価値が損なわれるデザイン。その一方、工芸では「味」となります。

使用や経年による質感の変化と、使用者に深まる愛着。

時間は、デザインを工芸へと変える可能性を秘めています。

 

 

開化堂の茶筒は、まさに育てる茶筒。機能性と風合い。長くつきあえる品物です。

現在、ヤフオクにて開催中の小さな企画展【筒のかたち】にて、

数十年を経た昭和期(あるいはもっと古い?)の開化堂の銅製茶筒もご紹介しています。

よろしければぜひご覧になって下さい。

 

 

 

2020年01月31日

嫁脅し肉付きの面

時は室町時代の半ば、足利義政の治世。

応仁元年(1467)に応仁の乱が始まります。

その最中の文明3年(1471)、蓮如は越前吉崎に赴き、吉崎御坊を建立します。

荒地であった吉崎は急速に発展し、寺内町が形成されていくのでした。

その吉崎には「嫁脅し肉付きの面」という伝説が残されています。

 

「 むかしむかし蓮如さまが吉崎におられたときの話や。

十楽村に嫁の清さんと婆さんが住んでいたんやと。

清さんは三十三歳やったんや。

かわいそうにの、二人の子供が次々と病にかかって死んでしもうた。

ああ、と思っていたら、夫の与三次さんも急病にかかってなくなってしもうたんや。

 

清さんはの、世の無常をさとって吉崎御坊へ参って、蓮如さまの話をきいて信者になったのや。

それでの、昼はたんぼや畑を耕し、婆さんの機嫌をとって、夜、手がすくと一里の山道を歩いて吉崎御坊へお詣りしたんや。

ところがおもと婆さん、それが気にいらんで、家宝の鬼の面をかぶって途中の谷間でおどし、こわがらせて吉崎詣りをやめさせようとしたんや。

 

うわあーと鬼がでたじゃから、清さん、とびあがってびっくりしたやろの。

だがの、心をしずめ「食まば食べ 喰わば喰え金剛の 他力の信はよもはやむまじ」と口ずさんで、念仏申し申し吉崎へ詣ったんやそうな。

さてさて、婆さんは「うまくいったぞ」と家へ帰り、面をすみやかにとろうとしたら、とれんのや。

むりにとろうとすると、血が流れ出ていたむんや。手も足もしびれてしもうたんや。

こわいこっちゃ。ばちがあたったんやろの。

清さんはお詣りをすませ、家へ帰って「ただいま」と戸をあけて中へはいると、谷に出た鬼がいるんで二度びっくり。

「助けてくれ!清さん」といわれて、婆さんとわかって、とってあげようとするが、とれんのや。

孝行ものの清さんも困ってしもうたんや。婆さんはとってほしいが、とってもらえんので大声あげてなくんや。

 

そこでの、清さんは「蓮如さまのおおせには、いかなる者も弥陀をたのめば仏になるとおっしゃった」と、婆さんの一番きらいなお念仏をすすめたんやと。

さすがの婆さんも涙をながして話す清さんをみて、

「清さん、面をかぶっておどした私が悪かった。かんにんしての」

「いやいやお婆ちゃん、わたしにあやまらんでいいですよ。面がとれないから困るんでしょう。どうぞお念仏を・・・」

生まれてからはじめて「なむあみだぶつ、南無阿弥陀仏」と清さんのすすめでとなえたんやと。

 

あらあらふしぎやの、清さん、手でもってひくと、すっととれんや。

二人は大喜び、手に手をとりあって吉崎御坊へかけつけ、蓮如さまに事のしだいをお話しし、面をおあげしたんやと。

蓮如さまは喜ばれ、婆さんにお念仏のありがたいことをとかれたんやと。

それからは婆さんも信者になって、二人手をとりあって吉崎へ蓮如さまのお話を聞きにやってきての、仲よくくらしたんやといの。

嫁おどしの面は蓮如さまが吉崎を出られるとき、

「末代のみせしめにせよ。参詣者の方々にこの話を聞いてもらい、家中のもの仲よう念仏もろとも楽しく生きてくださるよう伝えてくれよ」

と吉崎御坊に残していかれたんやと。 」

(以上、「吉崎御坊の歴史」図書刊行会より)

 

 

ところで、「吉崎参拝記念」と掛かれた盃を見つけました。

見込に女性の顔が描かれています。

 

裏面は、緑鬼の顔。鬼面の盃です。

「鬼は外、福は内」内側がお多福になった鬼面盃は節分盃とも呼ばれます。

節分盃は江戸時代末期頃から作られ始めたと聞いています。

同じような盃で九谷銘のものをときどき見かけることがありますが、

九谷でも明治から大正にかけてさかんに作られていたといいます。

 

この盃の場合、見込に描かれた女性はお多福とも異なるように思われます。

何だろうと思い巡らせ、調べている中で、「嫁脅し肉付きの面」の伝説にたどり着きました。

おそらく、この盃は節分盃を若干アレンジして「嫁脅し肉付きの面」を表現したものではないかと思っています。

描かれた女性は嫁の「清さん」(老婆の姿ではないので「おもと婆さん」ではないでしょう)。鬼は嫁脅しの面。

吉崎限定の盃。今でいうところのご当地グッズのさきがけですね。

 

ところで、緑鬼の色にも意味があるようです。

仏教には、煩悩を表す五蓋(ごがい)という考え方があって、それぞれに色があてがわれているのです。

①赤⇒貪欲(とんよく):むさぼること

②青⇒瞋恚(しんに):怒ること

③緑⇒惛沈(こんちん)・睡眠:倦怠や眠気

④黄⇒掉挙(じょうこ)・悪行(おさ):心の浮動や後悔

⑤黒⇒疑惑:疑うこと

節分の豆まきのとき、自分の打ち勝ちたい煩悩の色の鬼に豆を投げるとよいともいわれています。

もしかしたら、あと4色、この盃の色違いのものがあったのかもしれません。

 

2020年02月14日

古伊万里に描かれた仏像

金沢で見つけた古伊万里のうつわの話です。

古い箱の中にいくつかの古い食器が混ざった中に、ふと目にとまった古伊万里の色絵の向付がありました。

八角形で、各面に何やら人物が描かれています。そして・・・

 

黄色い仏像らしき姿を発見!拝まれています。

いったいどんな由来の図なのかと興味がわき、調べてみることにしました。

手掛かりは、各面の人物図の余白に染付で書かれた漢詩らしき漢字の羅列。

ひとつの面には「李白」の文字が見えました。

さらに解読できる漢字をたよりに、検索してみると・・・

ありました、ありました。「飲中八仙歌」。盛唐の詩人で「詩聖」と讃えられた杜甫の作品です。

酒中八仙として勇名を馳せていた8人の酒豪たちを、親しみをこめてユーモラスに謳った詩。

登場人物8人の名と漢詩(漢字)を照らし合わせてみると、なんと順番通りぴったり合致しました。

 

 

①賀知章 ②汝陽王李璡 ③李適之
⑧焦遂  杜甫? ④崔宗之
⑦張旭 ⑥李白 ⑤蘇晋

 

気になる仏像のある場面は、八仙の第五、蘇晋(そしん)のエピソード。

仏教に凝った蘇晋は、刺繍された弥勒仏を拝んでいたとのこと。

この黄色い像は、弥勒仏だったんですね。

 

余談になりますが、この弥勒仏、布袋のようにも見えませんか。

布袋は晩唐に実在した僧なのですが、のちに神格化され、弥勒信仰と結びつくのです。

そのため、後世においては弥勒仏はしばしば布袋の姿で描かれるようになりました。

杜甫が生きたのは盛唐、布袋は晩唐。杜甫の時代には布袋はまだ生まれていませんでした。

このうつわに絵を描き入れた画工は、おそらく注文を受けてから絵手本をもとに絵付けを行ったはずなのですが

その絵手本が明代のものか清代のものか、弥勒仏が布袋の姿で描かれていたのでしょう。

ちなみに高台内には「大清康煕年製」銘。絵手本は康煕年間のものだったかもしれません。

康煕年間(1662~1722)はたいへん長く、日本の年号でいうと寛文から享保までとなります。

 

それにしても、仏像が登場する古伊万里があったとは、なんとも驚きでした。

 

 

 

2020年02月22日