仏手と古陶
仏教美術のものを蒐めている、という方のところに伺ってきました。
棚には愛らしい仏像や仏教工芸の小品が並び、その方の愛着ぶりがうかがわれる素敵なコレクションです。
日本のもの、特に室町時代以降のものが中心のように思われました。
その中に一点、異色を放つ存在に目が留まりました。
仏像の右手の残欠。やわらかな線につつまれたシルエットがなんとも優雅です。
細長い指や手の形は東南アジアの仏像のように感じました。
おだやかに前方へと突き出された前腕(一の腕)、
もとはどんな姿だったのだろうと気になります。
出自は不明でしたが、美しく、また調べてみたいという思いもあって、
お願いして譲っていただくことにしました。
さて、家に戻り、資料探しです。
おそらくは、タイか、カンボジアか・・・
そして大きなヒントは、やはり突き出された一の腕でした。
タイの「遊行仏」(ウォーキングブッダ)にたどり着たとき、これだ!と思いました。
仏像が歩く姿を見せる遊行仏は、タイのスコータイ王朝(13~15世紀)に生まれた様式と言われています。
昨年、カンボジアのアンコール遺跡でも、石に刻まれた遊行仏が見つかったそうで
今後そのルーツも解明されていくことになるのでしょう。
ところで、現在、ヤフオクにて小さな企画展【掌上の古陶】を開催中です。
2点、「スンコロク」の名で親しまれているタイの小壺もご紹介しています。
秀吉の時代には、中国人商人の手によって日本にもたらされていたとのことです。
スワンカロークの地名から「宋胡録」と漢字があてがわれました。
これらの小壺が焼かれたのはアユタヤ王朝(14~18世紀)の時代。
前述したスコータイ王朝の後に栄えたアユタヤ王朝は、
中国とインド、ヨーロッパの中間に位置する地の利を活かし、交易によって莫大な利益を生みます。
その富を背景に、クメールや中国、ヨーロッパ、ペルシャなどの影響を受けながら
独自の華やかな文化を開花させていくのです。
これらの小壺は輸出用の香辛料の容器でしょうか。
手のひらにものる小さな小さな古陶、アユタヤ王朝の栄華を支えた脇役たちです。