満身創痍の皿
お客様のところで、長い間愛蔵され愉しまれたという品を見せていただきました。
藍九谷の市松文の長皿!
手に取って裏表ひっくり返しながら拝見させていただいていると・・・
表面に、気になる箇所を発見。さらにその周囲にうっすらとニュウ(ひび割れ)らしき線を見つけました。
ずいぶん前にあるお店で「無傷完品」として勧められ、お求めになったのだそうです。
傷の箇所を覆い隠すような補修がされています。共直しです。
しかし、とても生まれのよい皿なのです。そして、私の好みの皿でもありました。
私は、補修のことを説明した上で、お譲りいただけないかとお願いしてみました。
無傷無欠点の品として高額でお求めになったため、私の説明を聞いてがっかりされたに違いありません。
お客様はしばらくお考えになった末に、長いこと楽しませてもらったのだからと、手放される決断をされました。
さて、帰宅するとさっそく気になる共直しの正体との格闘が始まりました。
欠けや割れを補修し、さらに周囲の部分と同じ色調に色合わせして補修箇所を目立ちにくくする共直し。
しかし時間が経つにつれその表面は変色し、違和感が出てくるのです。
お客様のところで私が気付いたのも、色合わせ部分の表面変化だったのでしょう。
すでにニュウが見えていたので、割らないように注意を払いながら熱湯を注ぎました。
すると・・・
ペロンと、皮がむけるように表面を覆っていた膜がはがれてきました。
ニュウだけでなく、長皿の隅の部分が完全に割れ、継がれていたことが判明。
しかし、それで終わりではありませんでした。
なんと!皿は真っ二つに割れて、焼き継がれていました。
そして、全ての継ぎを覆うべく、表裏全面が薄い膜でコーティングされていたのです。
染付の部分はその上から藍で手描きされていたこともわかりました。
まさに、満身創痍。
傷があるのは十分承知した上でお客様からお譲りいただいたつもりでしたが・・・
さて、私が古美術の修行のために入った店は大所帯で、私の入店時、4人の兄弟子がいました。
師匠のことを私たちは「主人」と呼び、主人はたいへんお忙しい方なので、
日常のさまざまなことは、まず兄弟子たちから教わりました。
まず教わったのは、風呂敷の扱い方だったでしょうか。たたみ方、結び方など。
風呂敷は古美術商の必需品です。
(私もやがて弟弟子ができて指導する立場になるのですが、たしかまず風呂敷のことを説明したような記憶があります。)
そして入門初期に教えられたことの一つが、「傷」や「修理」(補修)の見方でした。
古美術品というのは古いものですから、劣化はつきもので、ひび欠けも少なくありません。
しかしその保存状態が商品価値を左右する大きな要素なので、古美術商としては状態を正しく見極める必要があるのです。
補修としては、陶磁器だと金直しや銀直し、漆直しは色や質感も明確に異なるので一目瞭然なのですが
厄介なのは「共直し」でした。
共直しを恐れ、疑心暗鬼になるばかりでは佳品を逃すこともあります。
失敗も多々ありました。
京都で初期伊万里の玉壺春の徳利の共直しに気付かずに仕入れ、痛い思いをしたときのことは、今でもよく覚えています。
満身創痍の長皿。製作期は約1650~1670年代、江戸時代前期の寛文年間の前後と思われます。
約350~400年前のブルーはそのまま鮮明に輝いています。
見事な縦横比。口縁の低い立ち上がり。その造形も洗練されています。
いちばんの見どころは細かな市松(石畳)文。
しかも、全面ではなく、片身替り(それも無文!)としているところが心にくいものです。
寛永文化の粋がちりばめられた佳品で、その状態を差し引いたとしても十分見ごたえがあります。
こちらは、ヤフオクにて開催中の小さな企画展【市松とストライプ】にてご紹介しております。
(3/9(月)21~22時終了予定)
画像は、部分拡大図を含め72枚を掲載していますので、詳細はそちらご覧いただければと思います。
私の入手価格にかかわらず売り切りますので、よろしければどうぞご参加下さい。
引き続き大切にして下さる方とのご縁があればと願っています。