東都みやげ

海外のコレクターのもとへと旅立ってしまいましたが、

北陸の旧家に伝わった、東海道五十三次が描かれた染付の盃がしばらく手元にあったのです。

たいへん薄いつくりで、卵殻手と呼ばれる磁器で、高い技術が必要とされるもの。

卵殻手の品々は明治頃に生産され、海外にも輸出されていたと聞いており、

その五十三次の盃もてっきり明治期に作られたものと思っていました。

 

数か月前のことになりますが、古い木箱に収まった、5客組の盃を手に入れたのです。

「天保五年午八月」と桐箱の差し蓋の表裏に墨書があります。

天保5年は1834年。江戸時代後期です。午年とありますが、調べてみると、天保5年は確かに甲午(きのえうま)。

箱の見た目も、200年ほど経っていてもおかしくない雰囲気を帯びています。

 

中には5客の図替わりの色絵の盃。ひじょうに薄い「卵殻手」です。

この5客組が天保5年(あるいはそれ以前)の品だとしたら、

あの五十三次の盃もそれくらいの時代までさかのぼる可能性があります。

(この5客組にもっと早く出会えていたらなあ・・・)

 

さて、5客の盃は上の画像のように収められていました。

それぞれ「東都名所○○之景」「都山筆」とされています。

東都名所御殿山之景 都山筆

東都名所高輪之景 都山筆

東都名所上野清水之景 都山筆

東都名所新吉原之景 都山筆

東都名所向嶌之景 都山筆

 

桐箱の蓋には「天保五年午八月」と墨書があります。

天保5年は1834年。江戸時代後期です。午年とありますが、調べると、天保5年は確かに甲午(きのえうま)。

広重の『東海道五十三次』(保永堂版)は天保5~6年(1834~35)の作品ですが、

その前の天保2年(1831)頃には『東都名所』(川口屋正蔵版)を発表、広重の初期の風景画として有名です。

その後も版元を変えながら東都名所図を世に送り出しています。

この盃の下図もきっとその影響を受けているのでしょう。

 

 

ところで、箱蓋の表裏に見える「瀬戸」の文字。

調べてみると、瀬戸又次郎の名が見つかりました!

瀬戸家は、紀州藩の日高郡藤井村(現在の和歌山県御坊市藤田町藤井)の大庄屋を務めていた家です。

和歌山県立文書館には平成16年に『瀬戸家文書』が寄託され、整理が進められているようです。

天保九年のところに瀬戸又次郎が登場しています。

 

箱蓋の墨書はまだ解読できずにいますが、「久野様」「以戴」「東都」「家老」などの文字が見え、

東都からの品を久野氏から戴いた(賜った)ということなのでしょう。

 

2020年06月17日