阿吽のセキレイ

セキレイ(鶺鴒)の皿がやってきました。江戸時代前期、17世紀半ばの寛文年間頃のものです。

 

 

鳥を描く作品は、江戸時代初期に焼かれた初期伊万里から見られますが、

セキレイ(と思われる小鳥)がモチーフとして数多く取り上げられるのは、この時期からです。

 

この皿で興味深い点のひとつは、巣篭りの図になっていることです。私も初めて見ました。

雌鳥でしょうか、伏せた方は正面から描かれています。ほほえましい顔をしていますね。

おそらくこの二羽はつがいで、もう一方は雄鳥でしょう。

ところで、くちばしを閉じた雌鳥に対し、雄鳥はくちばしを開いています。

お気付きでしょうか、なんと「阿吽」の一対になっているのです!

 

 

「○」と「+」を組み合わせた文様のようにも・・・(島津家の家紋⁉)

 

 

 

45°回転させると「○」と「×」の組み合わせに。

鋏(はさみ)の形にも見えなくはないですね・・・

 

 

さて、二羽のセキレイをこのように交差させて描く構図は、藍九谷でもいくつか知られているのですが、

もしかしたら同じ下絵があったものかもしれません。

17世紀後半の延宝期、元禄期になると、鍋島作品でセキレイが描かれた皿がいくつか知られています。

代表的な2点をご紹介したいと思います。(画像は、里文出版『鍋島』より)

 

 

こちらは、伊万里市蔵の「染付鶺鴒文変形皿」。延宝期のものです。

 

 

こちらは、佐賀県立九州陶磁文化館蔵の「色絵鶺鴒文皿」。元禄期のものです。

 

どちらも「阿吽」です。

また2点を比較すると二羽のセキレイの位置がほぼ同じで、足元に水草を描く点も共通しており、

同一の下図案から作られたものではないかとも考えられています。

なお、鍋島作品の意匠となる鳥は一対で描かれることが多く、おめでたい吉祥柄です。

鍋島作品にも現れる、二羽を組み合わせたパターンのセキレイ図。

藍九谷は17世紀でももう少し時代のさかのぼるものですが、それらの下図案にも関係性を感じます。

 

 

ところで、久隅守景という絵師をご存知でしょうか?

国宝「納涼図」の描き手といえば、思い出される方も少なくないことでしょう。

前田藩とも関わりの深い、江戸前期の狩野派の絵師です。

2016年には石川県立美術館で久隅守景の展覧会が開催されましたが、守景筆とされる作品が一堂に会しました。

その展覧会の目玉が「納涼図」でした。

 

さて、「久隅守景画」と墨書きされた古い木箱に古い染付の皿が5枚、10枚と収まっていることがあります。

私もこれまで何度か扱いましたが、そのほとんど全てが藍九谷、寛文期の染付です。上手の作品が多かったように思います。

実際に守景が絵付をしたかどうかは別として、その下絵に守景およびその周辺の絵師のものが用いられた可能性もあり

「久隅守景画」の墨書きも、あながちでたらめではなさそうな・・・

古九谷の産地をめぐる論争は、今日では有田説が有力となっていますが、中には雰囲気の異なるデザインの作品も存在しますし、

やはり前田家がその製作に何らかの形で関わっていたのではないかなあと思っています。

 

発掘調査とともに、狩野派とその周辺の絵画、絵手本、粉本等を重ねてを調べてみることで、

ベールに包まれた謎がひとつ、またひとつ解き明かされていくかもしれません。

 

2020年05月13日